歴史

【日系人の歴史】カテゴリー追加しました

ソーシャルメディアで、日系人の歴史について知りたいという方の情報がありましたので、ここで過去に書いた「ベイエリアの歴史」のうち、日系人に関わるものは「日系人」というカテゴリーを追加しました。

このブログはサーチ機能がないので、面倒で申し訳ありませんが、このエントリーの上にある「日系人」というカテゴリーをクリックすると、今回カテゴリーに入れた記事が出ます。

他の移民グループとの比較をしているので、これらの他のエントリーをご覧になりたい場合は「ベイエリアの歴史」のカテゴリーをクリックしてください。

【新著】「シリコンバレーの金儲け」発売しました!

先週、私の新著「シリコンバレーの金儲け」が発売されました。

私にとっては、2008年の「パラダイス鎖国」、2013年の「ビッグデータの覇者たち」に続く、7年ぶり3冊目の本となります。

本当は、「シリコンバレーの歴史」の本を書きたくて、前の本を出させていただいた講談社に打診したのですが、この新書シリーズは「学問の本」ではなく、すぐに仕事や生活に役立つ身近な知識の本という位置づけなので、「歴史じゃ売れない」と却下。それで、前半は歴史、後半は同じく以前から私が構想していた「アルゴリズムは現代の金型」という造語を中心にしてくっつける、という苦肉の策をとりました。そのつもりでお読みになると、たぶんその雰囲気がおわかりになると思います。

書き始めたのはもう2年前ですが、本業の合間に書くのでなかなか時間がとれず、最初のドラフトができたのが今年1月。ちょうど日本出張があったので、ドラフトをいったん編集の方にお渡しし、見ていただいてタイトルなど決めて・・と具体的な話にようやくはいりました。しかし、アメリカに戻ったあと、3月頃からアメリカも超特大コロナ危機に突入。後半の「現代史」部分は「シリコンバレーのバブル」の話だったので、このあたりから先はほぼ全面的に書き換える必要が生じました。逆に、サクサク書いてそれより前に出版していたら、あっという間に賞味期限が切れていたので、グズグズしていたのが幸いしました。

コンサルティングを本業とする私が本を書く意味は、「ここで起きていることを日本のビジネスパーソンにわかりやすく説明して、それが対岸の火事ではなく、自分の仕事にどう関係あるかを考えやすくすること」であると思っています。本だけでなく、最近月例でやっているウェビナーも同様です。このため、これらの世界の用語に慣れていない方にもわかるように、用語解説や比喩による説明などもしています。とはいえ、たぶん読んでくださる方は、すでに起業やITについて詳しい方も多いと思うので、あまり初級本ではなく、私の同業の友人たちにも面白がっていただけるネタもなるべく盛り込む、というところを苦心いたしました。

学問的な本でなく、面白話として、難しいと思うところは飛ばしていただき、楽しんでいただければ幸いです。なお、歴史の部分については、このブログに過去にもっと詳しく書いています。ちょっと古いので、検索が面倒かもしれませんが、「ベイエリアの歴史」というカテゴリーをポチってみてください。「ナポレオンからあの広大な領地をどうやって買いたたいたのか」など、本当は本に書きたかった話がいろいろあります。

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【なんでも歴史】アメリカには「マスク禁止法」がある

日本やアジアでコロナウィルスがそれほど広がらずに済んでいる原因の一つとして、「マスクを着用する習慣がある」ということが言われます。そして、マスクをしない欧米のことをアホ扱いする向きもあり、一方欧米でマスクをしているアジア人を差別したり攻撃したりする悲劇も起きています。

でも、アメリカでマスクをしないのは理由があります。15の州で「マスク禁止法」があるのです。

最初の法律は1845年にニューヨークでできたそうで、この頃発生していた家主と店子の紛争で「相手に恐怖を与える」として禁止されたようです。

しかしもっと大きかったのは、1960年頃に吹き荒れた暴力的な白人至上主義カルト「Ku Klux Klan(KKK)」への対策で、多くの州がはっきりとKKKやそのためのマスクを特定せず、一般的に「顔を隠すマスク」を禁止する法律を導入しました。

例えばハロウィーンの仮装や現在問題となっているような医療目的といった、「脅威とならないマスク」は除外すべきという申立が認められている州もありますが、そうでないところもあります。このため、現在でも厳密に言えば「マスクは違法」の場合があります。

先週、連邦CDCが「医療マスクか、それがなければスカーフでもTシャツでも使って、顔を覆うように」と指導したビデオが出たのは、そういう意味でアメリカとしてはとても大きな変化だったのです。

出典はこちら→https://www.mtsu.edu/first-amendment/article/1169/anti-mask-laws

【ナンデモ歴史59】海部元首相と徳島の海部一族

私の苗字は珍しいので、初対面の方によく「海部元首相とはご親戚ですか?」と聞かれます。いつも、「700年ぐらい昔は親戚だったと思います」と半分本気、半分ジョークで答えています。

さて、先日時事通信の会員向けセミナーとういことで、ロサンゼルスで講演をする機会がありました。そこで、3度ビックリの案件がありました。

(1)親戚以外で初めて、「海部さん」という方にお会いした。
(2)その方(海部優子さん)は「元首相のご子息の奥様」だった。(ご子息がLAに住んでいることは知っていた。優子さんはLAで日本文化を紹介するジャパンハウスの館長をされている、ステキな女性。)
(3)海部元首相家は愛知出身なのだが、優子さんが「徳島に海部町というのがあって、そこが長宗我部に攻められて・・」というお話を始められて(そうそう・・え?・・それウチの先祖の話?なんで知ってる?)と頭が混乱、「で、船で逃げ出して愛知に移ったのが夫の先祖なんです」と仰るので「えー!やっぱ先祖はどうやら同じですね!」という話になった。

私の先祖といっても、ある程度たどれるのは曽祖父の一代前ぐらいまでですが、とにかく幕末には徳島の蜂須賀家に仕える武士だったというのはわかっています。県の南端近くの海沿いにある海部町(平成の大合併で今は海陽町になった)ではなく、徳島市内に住んでいたようです。

その代だかさらにその前だかが、なにやらトラブルに巻き込まれ、水牢に入れられただか冷たい土間に土下座し続けただかして、歩けなくなってしまったそうで、それを見た曽祖父(海部忠蔵)は身分制度に反発し、明治初期にキリスト教に改宗しました。そして故郷を出て東京に移り、普連土学園の初代校長になりました。

その息子である私の祖父は、偏屈な三男で親戚づきあいもほとんどしなかったため、私はそのあたりの親戚のことはよく知りません。その後はごく普通で、祖父は教師、父はサラリーマンです。(一人だけ、父のいとこを知っているのみ)

とにかく徳島にいたので、海部町に拠った海部一族がきっと私の先祖だろうと思っているだけで、ここははっきりしているワケではありません。

ウィキペディアによると、海部町にいた海部友光が、永禄年間(1558-70年)に海部城を築いたのですが、あるとき嵐で船が逃げ込んできたのを海部勢が襲い、そのとき船に乗っていた長宗我部元親の弟を殺してしまったため、怒った元親が攻め込んできた、ということです。1577年のことです。

海部俊樹元首相の家はそういうわけで、愛知に逃げた一族の末裔ということですが、ではわが祖先は、果たしてそのときに徳島に残ったのか、それとも後に愛知から蜂須賀にくっついて徳島に舞い戻ったのか、というのは不明です。蜂須賀はもともと織田信長の家来だったので、愛知出身ですよね。その後国替えで徳島に行きましたので、そのとき「現地の事情をよく知る海部をコンサルタントに雇おう」といって連れていったのかもしれません。(うーん、なんというDNA)

いずれにしても、400~450年ほど昔の戦国時代から桃山時代あたりにかけて、元首相家とウチの先祖は分岐した、ということのような気がします。

「まぁ、なにしろ弱そうですよね」というのが、優子さんと私の共通の見解です。元首相家の一族は学者の方が多いようで、例えばノーベル賞受賞者の小林誠さんは海部俊樹さんの従兄弟です。我が家のほうはその傾向は曽祖父あたりまでですが・・

ちなみにフェイスブックからのタレコミで、京都の日本海側、丹後半島にある元伊勢龍神社というふるい神社には、現存する日本最古の家系図とされる「海部(あまべ)氏系図」という国宝があると教えていただきました。ここの宮司の家だったようです。これは平安初期のもので、ここまでいくと単なるファンタジーで、へー面白いなー、というだけの話です。

【ナンデモ歴史58】騎士物語は中世版「しまじろう」だった

中世ヨーロッパのマイブームが続いています。

私は英語の本を読むのが苦手なので、この歴史の勉強はもっぱらオーディオブックで、欧米の大学の先生の講義を聴いています。面白い話がたくさんあるのですが、本日はその一つをば。

ヨーロッパ中世の歴史は、日本の高校世界史でもあまり詳しくやった覚えがありませんが、その一つの原因として、「そもそも資料が少なくてよくわからない」ということがあります。

ローマ時代は、戦争やった張本人ががっつり書き残した「ガリア戦記」など、文献がたくさんあるのですが、中世ヨーロッパにはこの種の一次文献があまりありません。当時は書き言葉はラテン語しかなく、そのラテン語と地元の俗語が混じってできた話し言葉のフランス語やスペイン語などは書けませんでした。そして、その書き言葉であるラテン語が読み書きできたのは、聖職者だけでした。つまり、聖職者以外はみんな「文盲」だったので、そもそも文献というもの自体がほとんどないのです。

さて、前回の「奴隷貿易」の話でも書いたように、中世ヨーロッパというのはたいへんに暴力的な世界でした。ローマ帝国という「組織」の仕組みが崩れ、その後を支配したゲルマン民族には「組織」として国家を運営するノウハウがなく、個人が力で獲得した領土は個人の資産として息子たちに分割継承させるしきたりであったため、分裂と内乱が続きました。

組織としての国家が機能していない状態で、もともとは戦士であった領主が力で領土を支配しているのですから、法律も裁判も警察もへったくれもありません。領主達は、要するに戦いで強い騎士であったので、血の気が多く、自分の利益のために、お隣に攻め込むのはもちろん、気が向けば家来や領民を収奪したり殺したり家を焼いたりしていました。臣下の騎士たちもそれぞれに拝領地をもつ領主でしたので、上から下まで「貴族の暴力」が蔓延していました。

自前の武力を持たない聖職者たちも、その被害を受ける側であったので、困り果てて、「日曜日は家を焼かない」「武力をもたない女性や子供を殺さない」などのような「神さまの行動指針」を作り、これに従わなければ地獄に落ちるぞ、と領主=騎士たちを脅してなんとか制御しようとしましたが、まったく効果がありません。一つには、なにせ聖職者ですから、このルールをラテン語でお役所的な堅い文語で書いたため、文盲の騎士たちには全く理解されないというか、そもそも誰も読まない、ということがありました。

そこで一計を案じ、このルールを「ヒーロー物語」仕立にすることにしました。「勇敢でかっこいい騎士が、ドラゴンをやっつけて、美しいお姫様を守り、恋に落ちる」などの血湧き肉躍る物語を、ラテン語でなく俗語で作り、これを口述によるパフォーマンスで広めることにしたのです。「農民の家を焼いてはいけない」という退屈な禁止令は誰も読まないけれど、「かっこいい騎士は農民を助け、そうすると美しいお姫様を恋人にでき、みんなに尊敬される」という講談なら、騎士は熱狂して聴くわけです。これが大成功して、騎士物語は大流行に至り、この流れで「騎士道」の行動倫理が形成されました。

初期の騎士物語の代表作、「ランスロット」などを作ったクレチアン・ド・トロワは、宮廷づき聖職者でした。ここで使われた俗語はおもにフランス語やスペイン語などの「ロマンス語」であったため、こうした「恋物語」を「ロマンス」とよぶようになりました。

宗教的倫理をベースにした口述物語という意味では「平家物語」にも似ていますが、字を読めない人にヒーロー物語のパフォーマンスで行儀作法を教えこむという意味では、むしろ幼児向け教材の「しまじろう」みたいなものだなぁ、と思わず笑ってしまいました。

そして、英語読むのが苦手な私が、これをオーディオで聴いているというのもまた、文盲の騎士たちみたいなもんかなぁ(^^;)とも思ったりしています。

参考資料: The Great Courses

女性天皇の「論理」は「正統性」だと思う件

ちきりんさんが、「男女平等で女性天皇というのは論理破綻」という、面白い煽り記事を書いておられるので、この反語的なネタにマジレスしてみます。

結論からいうと、男女平等という「論理」ではなく、社会や環境の変化の中で、女性でも十分「天皇としての正統性を自然に感じられる」ようになってきたという話だと私は考えます。

現在の皇室典範というルールよりさらに一段上の視点から見て、そもそもなぜ皇室というものが現代の日本で存続しているのかというと、乱暴に単純化すると「みんな皇室が好きだから」ということになります。もう少し詳しく言うと、「皇室という存在が、日本という国を運営していく上で、歴史的に有用な存在だったことが暗黙の了解として共有されていて、今後も存在していたほうがいろいろと良かろうとなんとなく思っている人が大多数である」ということだと思います。

皇室がもつ役割は時代とともに変わっています。長い歴史の中で、実際に天皇が意思決定者や軍の総帥としての実権を持っていた時代はむしろ例外的で、ほとんどの時代、貴族(官僚)や将軍に正統性を付与する、超越的な象徴の役割であり、現代もそこにまた戻っていると言えます。

一時的に天皇が軍の総帥に引っ張り出された明治維新=帝国主義の時代、軍の総帥が女性であっては、帝国主義国家の体裁として弱いので、女性天皇はダメというルールができ、明治天皇は「強いリーダー」というイメージを付与されました。そして、男性の継嗣を確保するための仕組みとして、「側室」も当時としては当たり前でした。

しかし、時代は変わって現代、世界は帝国主義ではなく、天皇は軍の総帥ではなく、対外的にも国内的にも、天皇が男性でなければ日本国にとって不利という要素はほぼなくなりました。江戸時代以前、女性の天皇も存在した時代の「正統性を付与する象徴」という役割に戻った今、別に女性でも不都合はありません。「女性でも問題は特にないよね」ということなのですが、上記のようにグダグダ説明せずに簡単にコメンテーター的に言わなければならない場合、「男女平等だから」になってしまうかもしれません。

なお、サポート・システムとしての側室については、現代でそれを復活させろという意見はほぼありえないでしょう。

女性皇族がメディアにどんどん登場し、外国を訪問したり非営利団体活動をしたりなどの役割を果たす中で、女性皇族がたは皇室の主要メンバーとして広く知られ、親しまれています。女性宮家の議論の中で代替案としてよく上がる「旧皇族男性の復帰」という選択肢と比べてみると、なんだかよく知らない「旧皇族男性」よりも、女性皇族がたのほうが、私的にはずっと「正統性」を感じられます。

ここで私は「正統性」という言葉を何度か使いました。英語でいうとlegitimacy、マックス・ヴェーバーの「支配の社会学」の中で使われている用語です。支配される側の人たちが、支配者に対してなんらかの「正統性」を感じて納得しなければ、その支配は長続きしないことが多いのです。

日本でこれだけ天皇家が長く続いてきたのは、役割を変えながら、その正統性を大多数の人が支持していたからです。誰が天皇になるべきかというというルールは、さらにその上位概念である「正統性」から引き出されるものであって、一番重要な要件は、ルールそのものではなく、みんなが納得する「正統性」であると思います。そして、上記のように、現代は女性でも十分天皇としての「正統性」が担保されると思います。

ただ、「ベスト」が存在しない場合の「セカンド・ベスト」の要件が「男性である」ことなのか「より近い血脈である」ことなのかという比較になると、まだ議論が分かれるところです。

ちきりんさんの仰るように、「だれでも選挙で天皇になれる」というのは伝統型正統性に欠けるためにありえないというのはわかりますが、では例えば天皇の「娘」と「弟または甥」のどちらが正統性が高いか、ということになると微妙で、人により意見が異なります。そこがしばしば「お家騒動」のタネになってしまうので、ルールが作られるわけです。そして、今のルールは「男性である」ことを上位においていて、それが続けられる限りはそれでよいとしましょう。

ここで、十分な数の男性皇嗣候補がいるならば、ルールを変える必要はないのでしょうが、現実には今そこが大問題です。側室がありえないとすれば、選択肢としては「1.誰もいなくなったら家をたたむ」「2.女性でも天皇になれるようにルールを変える」「3.(旧皇族などから)男性の養子を迎えられるようルールを変える」などが考えられます。

どの方向に転んでも現状のルールを変えなければならないとなったら、さて、どの選択肢が皆さまはお好みですか?どれが長期的に安定したルールになりえますか?いずれ、国民の大多数が「正統性」をより強く感じられる方向に落ち着いていくでしょう。

(上の絵は、最後の女帝、後桜町天皇)

【ナンデモ歴史56】イケオバたちの悪だくみ - メディアにおける「女性の老い」

引き続き大河ドラマ「直虎」について論じます。(シツコイ)

昨年の「真田丸」の萌えポイントの一つに、「イケオジたちの悪だくみ」があります。若いもんがマジメやっている陰で、悪いイケメンオヤジたちが悪そうにニヤニヤしながらなにやら企んでいるところが、たまりませんでした。草刈正雄さんの真田昌幸はご存知の大人気ですが、私的には近藤正臣さんの本多正信の寝たふりなども大好きでした。

今年の直虎は、信玄や信長のような、有名どころの悪いオヤジたちが「記号」としてシンプルに扱われている一方、怖カッコイイ「悪いイケジョオバサン」が、ブキミな存在感を発して活躍します。特に浅丘ルリ子さんの寿桂尼が凄くて、病身なのに自ら信玄に会いに行くなど奔走し、それをこれまでの時代劇にありがちな「滅私奉公」的な美談ではなく、「こうすれば哀れを誘って相手の譲歩を引き出せる」という謀としてやっている、というところがめっちゃ魅力的で、怖大好きでした。

先週登場の栗原小巻さんの於大の方がこれまたブキミで、楽しみにしています。山岡荘八「徳川家康」の於大の方は、まさに慎み深く滅私奉公な、昔風理想の女性の「記号」として描かれていて「ナンジャーコリャー、ケッ」と思っていたので、今回悪いイケオバとして描かれるのがとても嬉しいです。

考えてみれば、悪いイケオジというのは、日本のドラマでときどき登場するおなじみキャラでありますが、悪いイケオバというのはあまり思いつきません。年配の女性の描かれかたは、そういえば比較的画一的であり、「優しい/厳しい/健気な母/おばあさん」か、独身/子無しの場合は「頑張ってきたけど哀愁」的なパターンが多いような気がします。

一方、先日「20-30代の働く女性が、自分は老けたなと思うことが多い」という記事がありました。その背景として、現代の女性にとって「老いることはひたすら価値がなくなること、悪いこと、嫌なこと、怖いこと、避けたいこと」という刷り込みがあるように思います。だから、人から老けたと言わたくないので自虐にしてしまうとか、相手に「いや、そんなことないよ」と言ってもらいたいとか、無意識な「予防線」を張っていると思えてしまいます。

こうしたメディアの「決めつけパターン」の一つが、上記のような「年配女性キャラの画一化」であります。たとえ「美しく老いる」と言っているつもりが、その表現型は「美魔女」礼賛という、「見かけは老いない」という貧困な発想に行ってしまいます。(というか、そのための美容商品を売りたいという一面もあり。)

ですから、「直虎」における「魅力的な悪いイケオバ」はとても新鮮です。「自分がヨレヨレのバーサマであることに価値がある」と位置づける、その発想はなかったです。それは悲壮な決意でもあるのですが、したたかな逆転の発想とも言えます。

私自身は、老いることに逆らっても無駄なので、そこに抵抗するという無駄なエネルギーは使わない主義です。年齢を聞かれればさらっと答えるし、体力・気力の衰えを感じても、「あー自分はダメだ、もっと頑張らねば」と価値判断をせず無理をせず、便利な道具に頼り人に仕事を押し付けてサボります。それなりのスキンケアもエクセサイズもしますが、そうすれば自分が気持ちいいからであって、他人に若く見られたいからではありません。

でも、受け入れたその先に、何らかの魅力的な「モデル」があったわけではありません。

「老いに価値がある」という新しいロールモデルは、ホントいいですね。未来に明るい光が射してきます。

昨年大ヒットした「逃げ恥」でも、ゆりちゃんの「年齢を重ねることをバカにするのは、未来の自分を貶めること、自分に呪いをかけること」というセリフが有名になりました。より多様で魅力的な「オバサン」の姿がメディアで描かれるようになったのはとても嬉しいです。

女性が主人公の大河では、子供時代が「お転婆で天真爛漫」というステレオタイプが多く、今年も最初のうちはそうだったので「はいはい、ジブリジブリ」と辟易していたのですが、年をとるにつれて、面白くなってきました。前回、南渓和尚が「自分がこの道を選ばせた」と気づいたように、直虎は、自分で選んだといいながらも、実はなりゆきや人の意見に影響されて選んだ気になっていて、何をやりたいのかという本当の自我の軸がなかったように思います。このあたりもとてもうまいストーリーテリングだと思います。私も自分の過去を振り返ると、実はかなりの部分、周囲に流されたり人の目を基準にしたり、いろいろ言い訳して、自分のキャリアを選んできたと、最近気が付きました。それは良いことか悪いことかの価値判断は、敢えてせず、事実としてそうだったと受け入れようと努力しています。直虎も、ワンパターンな「男勝りの女傑」ではなく、等身大の「ヘタレキャリアウーマン」です。

そんなヘタレが、このあと自我に覚醒し、立派な「悪いイケオバ」となり、イケメン直政(史実でもイケメンで、それをけっこう武器にしてのしあがったらしい)をコントロールする悪だくみをめぐらす姿をぜひ見たいものです。(いや、そうなるかどうかは知りませんが。)

そして不肖私も、今後は悪いイケオバ(顔がイケてるかどうかはキニシナイ)をめざして、ますます精進したい所存であります。

【ナンデモ歴史55】信長のマントはどこから来たか ー 「毛織物」の歴史的意義

戦国時代のドラマで織田信長が出てくると、アイコン的に「マント」を着ていることが多いですよね。「直虎」でも、市川海老蔵演じる美しくも恐ろしい信長が、豪華な刺繍のはいったマント姿で、豆だぬき家康を踏んづけていました。

マントは南蛮=欧州からでないと入手できない高価な品である、という約束事を、見ている人も暗黙の了解をしている上での描写であります。

で、その「欧州」ですが、正確に言えば、日本に最初にやってきたのはポルトガルとスペイン、半世紀ほど遅れてオランダとイギリスです。欧州といってもフランスもドイツもいません。この時代、1500-1600年代頃に、はるかアジアまで船を出していたのはこの4カ国だった訳です。(ドイツという国はその頃まだありませんでしたし。)

前者のカトリック2国が「南蛮」、後者のプロテスタント2国が「紅毛」と呼ばれ、宗教改革の余波で日本に競争で布教にやってきた、と学校では習ったように記憶しています。しかし、こんな遠くまで来るにはたいへんな投資がかかるので、単なる宗教の布教ではなく、それなりの見返りを期待したはずです。では、そのビジネスモデルとは何か。

この時代より少し前、ヴェネツィアが地中海貿易の中心地だった頃は、アジアから胡椒や絹を仕入れて欧州で売る、というビジネスモデルでした。では、欧州からアジアへは何を売っていたのか、ちょっと調べてみましたがはっきりしません。穀物やガラスなどの工芸品かな、という感じですが、あまり大きなマージンがとれるわけでもなさそうです。

大航海時代にはいり、貿易の中心地が大西洋に移行すると、ジェノヴァ人クリストファー・コロンブスにエンジェル投資したスペインが、南米で銀を掘り当ててエグジットに大成功(歴史シリーズ(2)参照)し、その後せっせと銀の収奪貿易に精を出すようになりました。

いずれも、あっちとこっちの価格差を利用したアービトラージというビジネスモデルです。

その流れで、南蛮人が日本までやってきたのは、マルコ・ポーロのいう「黄金の国」で金を掘り出そうという目的だったのかと思っていました。

しかし、実は商品(銀、胡椒、絹)を安価に入手するというだけでなく、どうやらちゃんと売るものもあった、ということに気が付きました。

それが、「マント≒毛織物」だった、というわけです。やたら長い前段ですね・・すいません。(欧州から日本にはいってきたもう一つの主要品目は「武器」で、こちらのほうが儲けも大きかったと思いますが、ここでは毛織物に注目します。)

羊を飼うのは、はるか前史時代に中央アジアで始まりました。当時、羊は今のようなモフモフではなく、ヤギのような短い毛で、主にミルクと肉と毛皮を目的として家畜化されました。そのうち、紡績技術が出てきて、短毛羊の中でもお腹側にちょっと長い毛のあるヤツがいたのでその毛をとって紡績してみると、とても調子がいいということで、だんだんに長い毛をもつ羊を交配するようになり、数千年をかけて、現在のようなモフモフ羊ができました。

羊と毛織物技術は、ヒッタイトやスキタイを経て欧州にも伝播し、古代ローマ時代には、毛織物のマントが兵士の標準装備となりました。ローマ帝国崩壊後、いったん毛織物工業はすたれますが、中世半ば(西暦1000年頃)にまた各地でぼちぼちと復活しました。そして中世末期には、主要生産地がいくつか興隆し、欧州全土で人々の衣服に使われるようになり、ヴェネツィアは欧州の毛織物をイスラム諸国に輸出するようになりました。

この頃、羊を飼ってウール素材をつくる部分については、イギリスとスペインが最大生産地として確立しました。イギリスは、降雨時間が長いため、羊の餌になる草が長期間にわたって生える、という長所があり、スペインのメリノ種の羊は、高品質のウールを作るのに適していました。そう、イギリスとスペインなのです。

そして、素材に加工して織物製品にする技術は、イタリアや低地諸国で最初に発達しました。どちらも、ヴェネツィアとアントワープ、すなわち海運・金融・商品市場という交易のためのインフラをもつ地に近いという特徴があります。その後ヴェネツィアは衰退し、アントワープの市場はアムステルダムにその地位を奪われます。オランダ(ネーデルラント連邦)は、1568年から始まるオランダ独立戦争でハプスブルグから独立したばかりの新興国でした。(種子島にポルトガル人がやってきたのは1543年ですから、その頃はオランダという国すら、まだ存在していなかったことになります。ちなみに、イギリス国教会成立はさらにそのちょっと前、1534年でした。)

そもそも、オランダ独立戦争というのは、毛織物工業ですでに豊かになっていた低地諸国に対し、伝統の結婚政策でこの地を手に入れたスペイン・ハプスブルグ家が圧政を加えたことに端を発します。「圧政」のひとつに、プロテスタントへの迫害もありました。少し前にフランスでも同様の背景で「ユグノー戦争」がありましたが、この頃プロテスタントになったのは、毛織物を代表とする「手工業」に従事する、当時の「新興テクノクラート層」の人々でした。伝統的な農民とその領主(私の定義による「第一世代」)の枠組みから脱して、手に技術をもって工業製品を作るメイカー的な人たちであったため、第一世代の社会を安定させることに最適化したヒエラルキー重視のカトリックに不満を持っていたわけです。

つまり、南蛮=カトリックは「伝統的農業経済」、紅毛=プロテスタントは「新興手工業経済」の象徴でした。

カトリックながら毛織物工業をもっていたスペインは、日本との貿易では先行して、毛織物や武器を売りにやってきました。しかしその後長期的に、後者の「新興国」のほうが勝ち組となっていきます。

日本では関ヶ原の合戦があった1600年、イギリス東インド会社が設立され、その2年後にはオランダ東インド会社が続きます。オランダとイギリスの船が日本に来るようになったのは、その後です。

その後の半世紀ほど、英蘭戦争で敗れるまでがオランダの最盛期でした。イギリスでは、毛織物工業のための「囲い込み」が16世紀と18世紀に起こり、その後の「産業革命」の基礎となる資本蓄積が行われます。

毛織物工業とは、歴史的にとても大きな意味があるのですね。

で、冒頭の信長のマントですが、そういうわけで、1582年の本能寺の変より前ですから、おそらくスペイン(もしかしたらポルトガル)から来た、たぶんメリノウール、ということになります。

それだけの話のために、延々と語ってしまい、本日も大変失礼いたしました。

出典:

http://quatr.us/clothing/wool.htm

https://www.thoughtco.com/wool-the-common-cloth-1788618

【ナンデモ歴史54】「直虎」現象とは何か ー メディア戦略の観点から

そういうわけで、最近大河ドラマにドハマリしているのですが、ツイッターを追いかけていてナルホドと思ったことがあります。

今回の「おんな城主直虎」は、メディアでは視聴率が悪い悪いと叩かれる一方、ソーシャルや関連CDの売上では「超人気」になっています。これは、これまでの大河ドラマ、例えば「平清盛」などもそうでしたが、ますますこの乖離が激しくなっているように見えます。本日はこの乖離現象について、考察してみます。

まず、大河ドラマは、NHK総合の本放送の前にBSでの放送があり、再放送もあり、録画もでき、ネットでのオンデマンド視聴もでき、視聴者が分散するので、本放送の視聴率はあまり意味がない、ということが言われます。それが一つの前提。

NHKの情報公開によると、「直虎」に「厳しい評価」をしている層は圧倒的に60-70代の男性、一方「良い評価」をしているのが圧倒的に20代以下-40代の女性であり、当初やや厳しい意見が多かった流れが変わったのは4月の「徳政令の行方」の回からだった、というのにとても興味を惹かれました。(このデータは6月現在なので、最近の動きは含まれない)

これは、好評の理由が「女性がイケメン俳優を見たいから」ではない、ということを示しています。もしそうであれば、高橋一生が出始めたもっと早い回に変化が現れるはずで、もう一人のイケメンキャラである三浦春馬はこの頃、すでに退場しています。

もう一つツイッターで気づいたのは、無名ということでしばしば批判される「直虎」という女性キャラクターを、放送開始より前から知っていた固定層があった、ということです。つまり、「戦国系ゲーム」であります。だからNHKは、ゲームの音楽でよく知られた菅野よう子さんをこのドラマで起用したのでしょう。

また、あの衝撃の「嫌われ政次の一生」の構図が「ロンギヌスの槍」であるという話を前々回書きましたが、これは「エヴァンゲリオン」で超有名なのだそうです。そういうわけで、この大河は、このあたりのカルチャーに何かとフレンドリーです。

私はゲーム方面はよく知らないのですが、こうした戦国系ゲームはけっこう女性のファンが多く、「歴女」とよばれる、と理解しています。彼女らは、ネットでソーシャルをやる人たちでもあります。そして、今回の直虎の物語は、断片的な史実以外はそもそもどこにも存在しないので、歴女達にとっても、次の展開が全くわからない「新しい物語」です。

NHKは、これらをわかった上で、若い女性でゲームや歴史が好きな人を「コア層」としてターゲットにしている、ということかと思われます。もちろん、中味としても、女性の共感をよぶ心情描写や美しい画面などが満載です。(花や動物を効果的に使っていますね!)

すなわち、いわゆる「テレビ離れ」しているこの層を取り戻す、ということをNHKが狙ってやっている、と私は思います。彼女らは、仕事や家庭で忙しいし、そもそもテレビを見る習慣がないので、必ずしも本放送をリアルタイムで見ることができず、分散して、いわゆる視聴率は低くなります。ですので、視聴率が低いとメディアが叩いても、制作側はあまり気にしないでしょう。

昨年の「真田丸」も私は面白く見ていました。こちらは根っからのテレビっ子である三谷幸喜さんが、広い層に受ける、一回見てその場でわはは面白いと思える、とてもテレビ的な作品を作ったために、視聴率は高く出ました。

一方、今年の森下桂子さんは、「あれ?これってあの伏線回収?」とか「ツイッターではこういう解釈が出た」などと、積み上げた背景への理解がないと、ぱっと見て面白いとは思えず、「マス層」にはアピールしません。「難しい」というか、楽しむツボが違うというか、なのであります。

それでもいいのです。NHKは広告を売っているわけではないので、瞬間的な視聴率は関係ありません。より多くの人たちがNHKを見て、満足して加入料を払ってくれさえすればいいのです。おじいちゃんたちは、直虎をこき下ろしても、NHKを見るのはどうせやめませんので、心配ご無用です。

このあたり、ゲームもソーシャルも興味のない「テレビ系」のメディア記者たちには、理解できない部分でありますが、これはどうやら、NHKの「孔明の罠」の勝ちと私は思います。

番組終了後、あの衝撃の回以降も含めた全体の視聴者評価データを、ぜひ見たいものです。

直虎を見ていると、ネットフリックス最初のオリジナル作品として映像業界に大きな影響を与えた「ハウス・オブ・カーズ」を思い出します。あれを最初に見たときに、内容に衝撃を受け、またこれはマス向けのテレビでは絶対受けない、オンデマンドで、特定層の視聴者向けで、イッキ見や必要に応じて見返せるなどでないと無理だな、と思ったものです。直虎と似ています。

そして、加入料金方式のネットフリックスが目的とすることは、NHKと似ています。

それにしても、ネットフリックスで、直虎をやってもらいたいと切に思います。もちろん公表はされませんが、上で見たようなNHKの把握しているデータよりも、もっと大量に面白い視聴データが出ることでしょう。(ワクワク♡)それに、世界配信してくれれば、アメリカでもオンデマンドで見られるのにぃ。(NHKにも、全世界からライセンス料がはいりまっせ!カーン!)

ちなみに、これまで直虎よりさらに無名でゲームにもなかった「小野政次」というキャラクターが、最近どこぞのゲームに登場したようです。無名だった新選組の山南総長が、堺雅人の演じたイメージで定着したように、小野政次も高橋一生の演じたキャラクターとして今後も定着することでしょう。

【ナンデモ歴史53】井伊家末裔の献身

昨日の記事が思ったよりたくさんの方に読んでいただけたので、本日は便乗して持論をマニアックに語ります。ドラマの話は出てきませんので、遠慮して本日の告知ツイートは、ドラマのハッシュタグなしにしておきます。

政次が命がけで守った井伊家の命脈はその後徳川幕府で長く続きますが、その中でも最も知名度が高いのはなんといっても井伊直弼でしょう。

幕末の大老で、独断で米国と条約を結んで開国し、そのために桜田門外で攘夷派に襲われて命を落とします。というより、自分が殺されることを覚悟の上で、開国を強行したのでしょう。「朝廷の許可を得なかった」という点を攘夷派に糾弾されるわけですが、それにより天皇に責任を負わせることなく、攘夷派にとっては裏切り者となり、自分だけが責を負って死んでいきました。ちょっと、ドラマと似てますよね。

開国は、その時点では江戸幕府の存続という大義に反することをやったように見えますが、日本国というよりメタな視点から見ると、その後現在に至るまでの日本の繁栄の重要なスタート地点であり、井伊直弼はそのための捨て石になったと考えることができます。もちろん、ご本人はそこまで考えておらず、あとから振り返った結果論ですが。

このときに日本が開国を断行したというタイミングは、世界史においてものすごく重要だと思っており、かねてから私は主張しています。

すこし前、このブログでカリフォルニアの歴史を書いていたのですが、そのときに「アメリカと日本は意外に同期している」ことに気づき、この2国にドイツを加えた3国を「第四世代文明の同期生」と名付けました。

(簡単に言うと第1世代は伝統的な農業ベースの経済、第2世代はアービトラージを富の源泉とする通商経済、第3世代は初期の製造業+植民地を原料供給地とキャプティブ市場の両方に使う植民地経済、そして第4世代は大きくて豊かな国内市場をベースにした自律的経済、です。えらい経済学者の説でもなんでもなく、私が言ってるだけ。)

19世紀後半は人類史上最大の技術の爆発期で、大きな発明や発見がものすごい勢いで起こりました。

エネルギーと動力の革新により、人やモノの移動距離と物量が飛躍的に増大し、製造業の生産量が増えました。これを最大限に活用できるのは、人口が大きく、かつ国内を単一市場として使える国です。19世紀の半ば、アメリカは南北戦争、ドイツは統一帝国の成立、日本は明治維新により、外国からの侵略でなく、その国の人たちが自ら血を流して、近代的な統治システム(=戦争時の動員力)と統一市場を確立しました。そして、これら3カ国が、徐々に当時の大国であったフランスやイギリスを凌ぎ、20世紀終わり頃に中国が台頭するまで、世界の3大経済となります。19世紀半ばという絶妙のタイミングでこれをやったおかげで、日本は先進国になんとか追いつくことができたのです。もう2ー30年遅れたら、ダメだったかもしれません。

もし、井伊直弼が命を懸けて開国しなかったら、どうなっていたでしょうか。

幕末ドラマで竜馬らが熱く語るような、「列強」が攻めてきて日本はつぶされる、という劇的なことことはおそらくなかったでしょう。幕府も朝廷も、「日本的」に何も決めず、ずるずる現体制を続ける。先進国からは放置プレイで、ときどき用事があるとやってきて、軍艦から大砲を撃って脅し、いろいろと譲歩をさせたり、だまして人をアメリカにつれていって鉄道建設などの奴隷労働をさせる*。おびえた庶民は、豊かな海岸沿いの土地を捨てて内地に逃げ、農地は荒れ、通商は縮小し、どんどん貧しくなる。欧米各国は徐々に権益を拡大して、日本人を虐げて甘い汁を吸う。

こんな感じでしょう。それが現実に起こってしまったのが当時の中国(清)でした。このために、中国は第4世代経済の波に乗れませんでした。日本がもしそうなっていたら、その後立ち直るとしても100年ぐらいかかったことでしょう。中国のように。

ということで、ドラマの空想世界での「政次の献身」の伝統が受け継がれていき、300年後に井伊家末裔の献身が日本国を救った、という半分現実半分空想のお話でした。

*マニアック注: 実際には、明治にはいってから井上馨が三井と組んで移民会社をつくり、アメリカに移民という名目の事実上の人身売買商売をやりました。しかしこれもタイミングよく、この時にはタッチの差で大陸横断鉄道はすでに完成していたので、日本からの移民は鉄道建設でなく農業に従事しました。まだダイナマイトもない時代ですので、鉄道建設は猛烈に悲惨過酷な奴隷労働で、太平天国の乱で流民となった中国人の「事実上の奴隷(年季奉公人)」が大量に連れてこられました。農業移民も苦労は多かったですが、それでも土地を獲得したり商店を興したりして成功する人も多くおり、資料を読むかぎり、鉄道建設よりはよほどマシだったと思います。