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【ナンデモ歴史59】海部元首相と徳島の海部一族

私の苗字は珍しいので、初対面の方によく「海部元首相とはご親戚ですか?」と聞かれます。いつも、「700年ぐらい昔は親戚だったと思います」と半分本気、半分ジョークで答えています。

さて、先日時事通信の会員向けセミナーとういことで、ロサンゼルスで講演をする機会がありました。そこで、3度ビックリの案件がありました。

(1)親戚以外で初めて、「海部さん」という方にお会いした。
(2)その方(海部優子さん)は「元首相のご子息の奥様」だった。(ご子息がLAに住んでいることは知っていた。優子さんはLAで日本文化を紹介するジャパンハウスの館長をされている、ステキな女性。)
(3)海部元首相家は愛知出身なのだが、優子さんが「徳島に海部町というのがあって、そこが長宗我部に攻められて・・」というお話を始められて(そうそう・・え?・・それウチの先祖の話?なんで知ってる?)と頭が混乱、「で、船で逃げ出して愛知に移ったのが夫の先祖なんです」と仰るので「えー!やっぱ先祖はどうやら同じですね!」という話になった。

私の先祖といっても、ある程度たどれるのは曽祖父の一代前ぐらいまでですが、とにかく幕末には徳島の蜂須賀家に仕える武士だったというのはわかっています。県の南端近くの海沿いにある海部町(平成の大合併で今は海陽町になった)ではなく、徳島市内に住んでいたようです。

その代だかさらにその前だかが、なにやらトラブルに巻き込まれ、水牢に入れられただか冷たい土間に土下座し続けただかして、歩けなくなってしまったそうで、それを見た曽祖父(海部忠蔵)は身分制度に反発し、明治初期にキリスト教に改宗しました。そして故郷を出て東京に移り、普連土学園の初代校長になりました。

その息子である私の祖父は、偏屈な三男で親戚づきあいもほとんどしなかったため、私はそのあたりの親戚のことはよく知りません。その後はごく普通で、祖父は教師、父はサラリーマンです。(一人だけ、父のいとこを知っているのみ)

とにかく徳島にいたので、海部町に拠った海部一族がきっと私の先祖だろうと思っているだけで、ここははっきりしているワケではありません。

ウィキペディアによると、海部町にいた海部友光が、永禄年間(1558-70年)に海部城を築いたのですが、あるとき嵐で船が逃げ込んできたのを海部勢が襲い、そのとき船に乗っていた長宗我部元親の弟を殺してしまったため、怒った元親が攻め込んできた、ということです。1577年のことです。

海部俊樹元首相の家はそういうわけで、愛知に逃げた一族の末裔ということですが、ではわが祖先は、果たしてそのときに徳島に残ったのか、それとも後に愛知から蜂須賀にくっついて徳島に舞い戻ったのか、というのは不明です。蜂須賀はもともと織田信長の家来だったので、愛知出身ですよね。その後国替えで徳島に行きましたので、そのとき「現地の事情をよく知る海部をコンサルタントに雇おう」といって連れていったのかもしれません。(うーん、なんというDNA)

いずれにしても、400~450年ほど昔の戦国時代から桃山時代あたりにかけて、元首相家とウチの先祖は分岐した、ということのような気がします。

「まぁ、なにしろ弱そうですよね」というのが、優子さんと私の共通の見解です。元首相家の一族は学者の方が多いようで、例えばノーベル賞受賞者の小林誠さんは海部俊樹さんの従兄弟です。我が家のほうはその傾向は曽祖父あたりまでですが・・

ちなみにフェイスブックからのタレコミで、京都の日本海側、丹後半島にある元伊勢龍神社というふるい神社には、現存する日本最古の家系図とされる「海部(あまべ)氏系図」という国宝があると教えていただきました。ここの宮司の家だったようです。これは平安初期のもので、ここまでいくと単なるファンタジーで、へー面白いなー、というだけの話です。