文化

【素人歌舞伎を語る3】オンライン歌舞伎の「新しい伝統」

そういうわけで歌舞伎大好きなのに、日本で歌舞伎座にも行けず、オンライン配信は日本の携帯電話番号で認証する仕組みなので海外からは見られず、頭にきてやけくそで、ジャパン・ソサエティで「オンライン歌舞伎ワークショップ」を企画し、本日無事に実施できました。

オンラインですから、どこからでも参加でき、日米だけでなくなんと南米や欧州からまで参加者が集まり、300人以上が参加してくださいました。

成駒屋の中村橋吾さんにご出演を願い、前半はアメリカン歌舞伎オタクのマークさんと、カリフォルニア州立大SF校で演劇を教える後藤先生が「歌舞伎とは?」の英語の解説。後半は橋吾さんの実演と質疑応答でした。

橋吾さんの熱演と、丁寧に質問にお答えくださる姿は素晴らしかったのですが、私はチャット欄に流れる英語の質問をピックアップして日本語に翻訳する係だったので、しっかり見ている暇がなかったのは残念でした。しかしこの、私が睨み続けていたチャット欄が、実はやたら面白かったのです。

最初は自己紹介と、その後はやや動きはスローだったのですが、だんだんペースが上がってくると、「素晴らしい」とかのコメントに交じって、日本人らしき歌舞伎知識のある方が「まってました!」「Narikomaya!」と「テキスト大向こう」をかけるとみんなが真似したり、ちょっとした質問に英語でお答えくださったり、節目節目で「88888(パチパチパチ)」の弾幕が張られたり・・・

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あれ?なんかこの盛り上がり方、既視感・・?

あー、そうそう、「超歌舞伎」のコメ欄ですわ。ニコ動だと、画面の上にコメントの弾幕がオーバーレイされますが、今年8月の超歌舞伎は私はYouTubeで見ていたので、オーバーレイがなく画面右のコメント欄に「電話屋!」とか桜の花吹雪とかが流れました。位置関係的にも全く同じです。

もしかして、今日ご参加の皆さんは、けっこう超歌舞伎見てたのかな?とも思いつつ、そうでなくても、超歌舞伎のこうしたコメ欄のお作法も自然発生的なものでした。

これは、もしかしたら歌舞伎の新しいオンライン視聴の伝統ができ、世界に広まりつつある!?と思ってとてもワクワクいたしました。

本日、イベントにご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました!

<ご参考>

橋吾さんの関連リンクと、英語で歌舞伎を学べるサイト

How to follow Hashigo

本日公開歌舞伎ましょうに橋吾さん登場!

Hashigo Dan - Fan Site (Japanese only)

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Hashigo’s YouTube links

Yonihibike Cocktail no Waza (Chase Away Pandemic Demon dance)

Kabuki Exercise (English subtitles): Vol. 1, Vol. 2

California Prune CM (Japanese only)

Asakusa Hanayashiki (Theme Park) CM (Japanese only)

Documentary “Kumagai no Jinya” (Japanese only)

Other links

How to watch Kabuki

Kabuki Kool - NHK (archive)

Japanese Traditional Performing Arts - NHK (available on TV Japan)

Kabuki theatre videos

Shochiku Kabuki videos

Introduction to Kabuki

Introduction to Kabuki - Shochiku

Introduction to Kabuki - JAC

Kabuki Kool - NHK

Kabuki World - NHK

Kabuki Resources

Kabuki21.com

Kabuki News

Kabuki Play Guide

【素人、歌舞伎を語る2】スーパー歌舞伎で私初「泣いた」件

そういうわけで、私が歌舞伎を見るのはいつも歌舞伎座なので、クラシックな演目がほとんどです。(時々新しいものもありますが、私が見たことがあるのはコメディ的なものが多いです)

コメディはともかく、勧進帳などの有名なお話は、昔の価値観 をベースにしたストーリーです。主君のために我が身やわが子を犠牲にする悲劇などは典型で、親子の情や恋のもつれなども、やはり現代から見ると単純すぎたり儒教的で古く感じたりします。歌舞伎の魅力として「美しい、面白い、心地よい」ということは思っていましたが、「感動」というのはそういえばなかったなと思います。

しかし今回、オンラインでスーパー歌舞伎「新版オグリ」を初めて見ることができ、見方が変わりました。スーパー歌舞伎は1977年に創始され、歌舞伎の様式を踏襲しながらも現代語セリフや宙乗りなどの派手な演出でわかりやすいということで知っていましたが、初めて実際に見て「ストーリーが現代的な価値観である」というのがどういうことかを理解できました。

「一期は夢よ、ただ狂え」というキャッチフレーズを見て、はぐれ者の若者たちが権威に反発してウェーイして、派手で華やかな立ち回りで盛り上がるお話かと思ったら、全く違いました。そういう場面もありますが、実は艱難辛苦の末に成長していく話で、単純な因果応報でもなく理不尽なことが次々起こり、中盤あたりからは涙が止まらなくなりました。もともと仏教の教えを説くためのお話がベースなのですが、いわば「普通の演劇」のような、現代人の心情に訴えるストーリー・演出になっています。

市川猿之助さんが主役(小栗判官)のフルバージョンと、中村隼人さんが主役のダイジェスト版の両方が公開されていたので、両方を比べて、それぞれ違う良さを楽しむこともできました。相手役の照手姫はどちらも坂東新悟さんですが、これがなんと素晴らしかったです。(涙涙・・・)

私は歌舞伎を見て泣いたのは初めてでした。両バージョン合わせて4回見ましたが、4回目でも泣きました。私にとって、新しい体験でした。

期間限定だったのでもう今は見られなくなっていますが、最後に見たときにYouTubeでの再生数はフルバージョンが約14万、ダイジェストが6万ぐらいあったと記憶しています。

再演があるのなら、なんとか日本に行くタイミングをあわせて、いつか見てみたいと思います。

【素人、歌舞伎を語る1】オンライン歌舞伎月間、全部見ました!

私、数年前から歌舞伎にはまっています。きっかけは飛行機でシネマ歌舞伎を見たことで、確か勘三郎さんが亡くなった翌年、2014年あたりだったのではないかと思います。

私はアメリカに住んでいますので、歌舞伎の舞台を見る機会はめったにありません。DVD版も出ていますが、アメリカの家庭にはディスクを再生する機械がありません。そんな中、今月2020年4月は、オフィシャルな歌舞伎をふんだんにオンラインで見られるという幸せな月間でした。コロナ禍による公演中止に伴う臨時オンライン配信のおかげです。

私が見られるかぎりの以下のもの、本日すべて鑑賞完了しました。

  • 国立劇場:「義経千本桜」

  • スーパー歌舞伎:「新版オグリ」(猿之助版・隼人版)

  • 超歌舞伎:過去4本すべて

  • 歌舞伎座:「雛祭り・新薄雪物語・梶原平三誉石切・高坏・沼津」

    (ニコニコ動画のスーパー歌舞伎「ワンピース」配信は海外ではブロックされていました)

普段は、そういうわけで歌舞伎を見られるのは、基本的には日本に出張に行くときだけです。仕事の合間に時間ができたらその日に行くというパターンなので、何を見たいと狙っていくことはできず、また「いつでもやっている歌舞伎座」の、いちばん遠い席で「一幕見」しかできないというのが普通でした。ドラマは日本語チャンネルで見られるので、ときどき歌舞伎俳優さんが出ているとその方の歌舞伎が見たいと思うのですが、そういう狙い撃ちはなかなかできません。

歌舞伎でなくても、ライブの舞台やコンサートというのは、たいへん時間贅沢なイベントです。子供が生まれた後、たとえ苦労して預け先を確保してチケットを買っても、その日に子供が熱を出せば一巻の終わりですので、そのような時間の制約の多い贅沢はしなくなってしまいました。

ですので、オンライン配信は本当に本当にありがたかったです。このご決断をいただいた関係者の皆様に深く感謝します。

本来ならばオリンピックで外国人の観客に見てもらいたかったであろう歌舞伎、実はオリンピック関連のイベントであれこれやるよりも、オンライン配信のほうが、おそらくは外国人へのマーケティングとしてははるかに有効と思います。劇場ではすでに英語解説対応はできているので、英語対応はコンテンツとしてはそれほど大変ではないように思います。

どうか、今回だけで終わらず、継続的にオンラインで合法的に歌舞伎が見られるようになってほしいと思います。有料で全くOK。私としてはNetflixでやっていただけると嬉しいですが、個別課金でも喜んでお支払いします。わがサンフランシスコのジャパンソサエティで日本語を勉強しているアメリカ人の皆様にも、ぜひお見せしたいものです。

どうか、オンライン継続ご検討のほど、乞願い奉りまする

日本がかつての「コスタ・デル・ソル」になっている件について

同年代ぐらいの方々は、かつて日本がバブルだった頃、物価の高い日本を脱出して、老後は海外に移住しようという日本政府の「シルバーコロンビア計画」をご記憶でしょう。今あらためて調べてみると、1986年のことでした。

スペインのコスタ・デル・ソルが、「日本人リタイアメント・コミュニテイ」をつくる脱出先として想定されていましたね。昔々のお話です。こんなところです。きれいなところですねー!

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たまたま、日本で数年を過ごし、最近アメリカに戻ってきたアメリカ人の友人と話していて、ふとこの件を思い出しました。彼は「東京はよかった、サンフランシスコは臭いし汚いし高いし危険だし、あっちに戻りたい」と盛んにこぼしておりました。(こちらに戻るやむをえない事情がありました)

東京が清潔で安全という話は言い慣らされていますが、「物価が安い」という点について、私も体感として、例えば「食べ物は異常においしいのに安い」とぼんやりとは思っていましたが、もともとアメリカで育った彼でさえそう思うのか、ということに少しショックを受けました。

彼は、東京23区内で、駅からは少し遠い、閑静な住宅街に一軒家を借りていました。曰く、「今、サンフランシスコに帰ってきて住む家より、東京の家のほうが広いのに安かった」のだそうです。

スペインは、かつて栄華を誇った国ですが、今は国力が衰えているので、「インフラはそこそこ整い、風光明媚だが、人件費が安くて物価が安い」という特徴がありました。あ・・あれ?これって日本?いや、ホント、そうなんです。

特にベテラン世代の間では、まだまだ日本はモノが高い、ブランド物は海外で安く買う、みたいなイメージがあると思いますが、もうそうではないのです。特にサンフランシスコは、アメリカでも群を抜いて地価が高いので特に対比が歴然としています。(もちろん、アメリカでも仕事もないような田舎はまだまだ地価は安いです)

私も、そういうわけで老後は日本に移住したいものです。コスタ・デル・ソルほど天気はよくなくて、夏に蚊が多いのが難点ですが、それでもこれまで貯めたドルを握りしめていけば、温泉にはいったり、歌舞伎を見に行ったり、神社仏閣巡りをしたり、できるんじゃないかと。

そして日本にはさらに老人が増えるという・・・

女性天皇の「論理」は「正統性」だと思う件

ちきりんさんが、「男女平等で女性天皇というのは論理破綻」という、面白い煽り記事を書いておられるので、この反語的なネタにマジレスしてみます。

結論からいうと、男女平等という「論理」ではなく、社会や環境の変化の中で、女性でも十分「天皇としての正統性を自然に感じられる」ようになってきたという話だと私は考えます。

現在の皇室典範というルールよりさらに一段上の視点から見て、そもそもなぜ皇室というものが現代の日本で存続しているのかというと、乱暴に単純化すると「みんな皇室が好きだから」ということになります。もう少し詳しく言うと、「皇室という存在が、日本という国を運営していく上で、歴史的に有用な存在だったことが暗黙の了解として共有されていて、今後も存在していたほうがいろいろと良かろうとなんとなく思っている人が大多数である」ということだと思います。

皇室がもつ役割は時代とともに変わっています。長い歴史の中で、実際に天皇が意思決定者や軍の総帥としての実権を持っていた時代はむしろ例外的で、ほとんどの時代、貴族(官僚)や将軍に正統性を付与する、超越的な象徴の役割であり、現代もそこにまた戻っていると言えます。

一時的に天皇が軍の総帥に引っ張り出された明治維新=帝国主義の時代、軍の総帥が女性であっては、帝国主義国家の体裁として弱いので、女性天皇はダメというルールができ、明治天皇は「強いリーダー」というイメージを付与されました。そして、男性の継嗣を確保するための仕組みとして、「側室」も当時としては当たり前でした。

しかし、時代は変わって現代、世界は帝国主義ではなく、天皇は軍の総帥ではなく、対外的にも国内的にも、天皇が男性でなければ日本国にとって不利という要素はほぼなくなりました。江戸時代以前、女性の天皇も存在した時代の「正統性を付与する象徴」という役割に戻った今、別に女性でも不都合はありません。「女性でも問題は特にないよね」ということなのですが、上記のようにグダグダ説明せずに簡単にコメンテーター的に言わなければならない場合、「男女平等だから」になってしまうかもしれません。

なお、サポート・システムとしての側室については、現代でそれを復活させろという意見はほぼありえないでしょう。

女性皇族がメディアにどんどん登場し、外国を訪問したり非営利団体活動をしたりなどの役割を果たす中で、女性皇族がたは皇室の主要メンバーとして広く知られ、親しまれています。女性宮家の議論の中で代替案としてよく上がる「旧皇族男性の復帰」という選択肢と比べてみると、なんだかよく知らない「旧皇族男性」よりも、女性皇族がたのほうが、私的にはずっと「正統性」を感じられます。

ここで私は「正統性」という言葉を何度か使いました。英語でいうとlegitimacy、マックス・ヴェーバーの「支配の社会学」の中で使われている用語です。支配される側の人たちが、支配者に対してなんらかの「正統性」を感じて納得しなければ、その支配は長続きしないことが多いのです。

日本でこれだけ天皇家が長く続いてきたのは、役割を変えながら、その正統性を大多数の人が支持していたからです。誰が天皇になるべきかというというルールは、さらにその上位概念である「正統性」から引き出されるものであって、一番重要な要件は、ルールそのものではなく、みんなが納得する「正統性」であると思います。そして、上記のように、現代は女性でも十分天皇としての「正統性」が担保されると思います。

ただ、「ベスト」が存在しない場合の「セカンド・ベスト」の要件が「男性である」ことなのか「より近い血脈である」ことなのかという比較になると、まだ議論が分かれるところです。

ちきりんさんの仰るように、「だれでも選挙で天皇になれる」というのは伝統型正統性に欠けるためにありえないというのはわかりますが、では例えば天皇の「娘」と「弟または甥」のどちらが正統性が高いか、ということになると微妙で、人により意見が異なります。そこがしばしば「お家騒動」のタネになってしまうので、ルールが作られるわけです。そして、今のルールは「男性である」ことを上位においていて、それが続けられる限りはそれでよいとしましょう。

ここで、十分な数の男性皇嗣候補がいるならば、ルールを変える必要はないのでしょうが、現実には今そこが大問題です。側室がありえないとすれば、選択肢としては「1.誰もいなくなったら家をたたむ」「2.女性でも天皇になれるようにルールを変える」「3.(旧皇族などから)男性の養子を迎えられるようルールを変える」などが考えられます。

どの方向に転んでも現状のルールを変えなければならないとなったら、さて、どの選択肢が皆さまはお好みですか?どれが長期的に安定したルールになりえますか?いずれ、国民の大多数が「正統性」をより強く感じられる方向に落ち着いていくでしょう。

(上の絵は、最後の女帝、後桜町天皇)

「女性活躍」界における「植木等」待望論

NHKで「植木等とのぼせもん」というドラマをやっています。私は植木等さんがシャボン玉ホリデーに出ていたのをリアルに見た世代です。懐かしいです。

ドラマでも描かれましたが、まじめな植木さんが最初「スーダラ節」を歌うのを躊躇していたのを、僧侶のお父さんが「これは親鸞上人の教えだ」と言って後押ししたという逸話があります。改めて振り返ると、あの1960年代、急速に増加した「ホワイトカラーのサラリーマン」たちは、急激に変化する時代のストレスの中で、あの歌で救われたのではないか、という気がします。

あー、そういうのでもいいのか。みんながみんな、スーパーサラリーマンじゃなくてもいいんだよな。わかっちゃいるけどやめられないんだよ。それが人間なんだよ。うん。

そうやって、完璧でない自分を誰かが肯定してくれたようで嬉しかったから、あれだけヒットしたのでしょう。

さて、最近の日本の「女性活躍推進」の中で、若い女性が不安に押し潰されているという話を読みました。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/02/moyamoya-jyoshi_a_23228148/

https://newspicks.com/news/2531306

仕事も家庭も、どっちかに手を抜けばすぐに批判が飛んでくる不安にビクビクする中、どこかに現代版「植木等が歌うスーダラ節」みたいなものが出現してヒットして、不安を笑い飛ばして、完璧でない彼女らを肯定する風潮になればいいのに、と思います。

昭和のサラリーマンのように、二日酔いでも会社に行っていれば、なんとなく給料もらえて、人より早くなくてもいずれはなんとなく係長や課長にズルっとなっていく、という世界でないことは承知しています。そりゃ、今は大変です。でも、別の部分であの頃より今のほうがよいところも多いはず。なんたって、ネットと携帯がある。情報は武器。本当にありがたい世の中ですわ。

私は、大学の同窓生女性のフォーラムに関わっています。参加者は皆それぞれ、目指すところは違うのですが、私としては、その活動を通して、「スーパーウーマンか、専業主婦か」の二択ではなく、無理ないペースでやっていき、トップでなくてもなんとなく係長とか課長ぐらいにズルっとなる女性がたーくさんいる、という日本を目指すのがよいと思っています。そこがボリュームゾーンなので。

人間誰しも弱いものです。わかっちゃいるけど全部完璧になどできません。マミートラックでもパートでも、なんでもいい。人よりゆっくりでもいい。人生は長い。楽しく生きよう。

(私自身が、自営という名の自前マミートラックに自らを置いたなぁ、と最近つくづく思うので、上記のように思って、自らを慰めております。)

・・と私が叫んでも全く影響がないので、どなたか植木等並みにインパクトのある形で、やってくれませんかねぇ・・?

【ナンデモ歴史56】イケオバたちの悪だくみ - メディアにおける「女性の老い」

引き続き大河ドラマ「直虎」について論じます。(シツコイ)

昨年の「真田丸」の萌えポイントの一つに、「イケオジたちの悪だくみ」があります。若いもんがマジメやっている陰で、悪いイケメンオヤジたちが悪そうにニヤニヤしながらなにやら企んでいるところが、たまりませんでした。草刈正雄さんの真田昌幸はご存知の大人気ですが、私的には近藤正臣さんの本多正信の寝たふりなども大好きでした。

今年の直虎は、信玄や信長のような、有名どころの悪いオヤジたちが「記号」としてシンプルに扱われている一方、怖カッコイイ「悪いイケジョオバサン」が、ブキミな存在感を発して活躍します。特に浅丘ルリ子さんの寿桂尼が凄くて、病身なのに自ら信玄に会いに行くなど奔走し、それをこれまでの時代劇にありがちな「滅私奉公」的な美談ではなく、「こうすれば哀れを誘って相手の譲歩を引き出せる」という謀としてやっている、というところがめっちゃ魅力的で、怖大好きでした。

先週登場の栗原小巻さんの於大の方がこれまたブキミで、楽しみにしています。山岡荘八「徳川家康」の於大の方は、まさに慎み深く滅私奉公な、昔風理想の女性の「記号」として描かれていて「ナンジャーコリャー、ケッ」と思っていたので、今回悪いイケオバとして描かれるのがとても嬉しいです。

考えてみれば、悪いイケオジというのは、日本のドラマでときどき登場するおなじみキャラでありますが、悪いイケオバというのはあまり思いつきません。年配の女性の描かれかたは、そういえば比較的画一的であり、「優しい/厳しい/健気な母/おばあさん」か、独身/子無しの場合は「頑張ってきたけど哀愁」的なパターンが多いような気がします。

一方、先日「20-30代の働く女性が、自分は老けたなと思うことが多い」という記事がありました。その背景として、現代の女性にとって「老いることはひたすら価値がなくなること、悪いこと、嫌なこと、怖いこと、避けたいこと」という刷り込みがあるように思います。だから、人から老けたと言わたくないので自虐にしてしまうとか、相手に「いや、そんなことないよ」と言ってもらいたいとか、無意識な「予防線」を張っていると思えてしまいます。

こうしたメディアの「決めつけパターン」の一つが、上記のような「年配女性キャラの画一化」であります。たとえ「美しく老いる」と言っているつもりが、その表現型は「美魔女」礼賛という、「見かけは老いない」という貧困な発想に行ってしまいます。(というか、そのための美容商品を売りたいという一面もあり。)

ですから、「直虎」における「魅力的な悪いイケオバ」はとても新鮮です。「自分がヨレヨレのバーサマであることに価値がある」と位置づける、その発想はなかったです。それは悲壮な決意でもあるのですが、したたかな逆転の発想とも言えます。

私自身は、老いることに逆らっても無駄なので、そこに抵抗するという無駄なエネルギーは使わない主義です。年齢を聞かれればさらっと答えるし、体力・気力の衰えを感じても、「あー自分はダメだ、もっと頑張らねば」と価値判断をせず無理をせず、便利な道具に頼り人に仕事を押し付けてサボります。それなりのスキンケアもエクセサイズもしますが、そうすれば自分が気持ちいいからであって、他人に若く見られたいからではありません。

でも、受け入れたその先に、何らかの魅力的な「モデル」があったわけではありません。

「老いに価値がある」という新しいロールモデルは、ホントいいですね。未来に明るい光が射してきます。

昨年大ヒットした「逃げ恥」でも、ゆりちゃんの「年齢を重ねることをバカにするのは、未来の自分を貶めること、自分に呪いをかけること」というセリフが有名になりました。より多様で魅力的な「オバサン」の姿がメディアで描かれるようになったのはとても嬉しいです。

女性が主人公の大河では、子供時代が「お転婆で天真爛漫」というステレオタイプが多く、今年も最初のうちはそうだったので「はいはい、ジブリジブリ」と辟易していたのですが、年をとるにつれて、面白くなってきました。前回、南渓和尚が「自分がこの道を選ばせた」と気づいたように、直虎は、自分で選んだといいながらも、実はなりゆきや人の意見に影響されて選んだ気になっていて、何をやりたいのかという本当の自我の軸がなかったように思います。このあたりもとてもうまいストーリーテリングだと思います。私も自分の過去を振り返ると、実はかなりの部分、周囲に流されたり人の目を基準にしたり、いろいろ言い訳して、自分のキャリアを選んできたと、最近気が付きました。それは良いことか悪いことかの価値判断は、敢えてせず、事実としてそうだったと受け入れようと努力しています。直虎も、ワンパターンな「男勝りの女傑」ではなく、等身大の「ヘタレキャリアウーマン」です。

そんなヘタレが、このあと自我に覚醒し、立派な「悪いイケオバ」となり、イケメン直政(史実でもイケメンで、それをけっこう武器にしてのしあがったらしい)をコントロールする悪だくみをめぐらす姿をぜひ見たいものです。(いや、そうなるかどうかは知りませんが。)

そして不肖私も、今後は悪いイケオバ(顔がイケてるかどうかはキニシナイ)をめざして、ますます精進したい所存であります。

「死ぬ気」でやってるヒラリーと普通のオバサンの役割

単なる感想の回です。昨日の大統領ディベートを見終わって、いろいろ考えました。

ヒラリー・クリントンは「健康不安」と言われていますが、実際に病気を持っているいないにかかわらず、68歳です。(トランプはもっと年寄りですが。)私よりも一回りも上です。私はヒラリーに比べればずっと楽ちんな仕事ですが、それでも更年期の時期を過ぎて、がくっと体力が落ちました。同年代の多くの女性よりは体力的に恵まれていると思うし、ずっとスポーツをやってきているし、まさか私が・・と思っていたのに、最近は骨粗鬆症の一歩手前で足の甲を骨折したり、ムリをして疲労のあまり階段から落ちて数週間寝たきりになったりしています。

どんなに健康に気をつけ、いろんなことをヘルプする人が周囲にいたとしても、あんなに厳しい選挙戦を戦っているヒラリーは体力的にはとてもシンドいのではないかと思ってしまいます。今後、アメリカの大統領は世界一の激務で、どの大統領も任期中にボロボロに老化します。本当に、ヒラリーは「死んでも仕方ない」という覚悟でやっているような気がします。

ずっと法律と政治の世界で努力を重ねてきて、子供を育て、たぶんその間はいろんなことを諦めながら、チャンスを伺い、選挙に出て一度は失敗し、さらに巻き返し、そしてようやく巡ってきた最大のチャンスです。彼女自身のメリットは、いまさらお金のためや名誉のためではないでしょう。選挙に出たり、実際に大統領になれば、黙って静かにしていれば決して起こらないいろんなバッシングにさらされます。それでも、やろうという根性は、ある意味では「野心」なのでしょうけれど、いろんなモノを背負って、たとえ死んでも今やらねばならない、という使命感があるのではないかと。(そして、思いつきのぽっと出のトランプごときにこんな目に合わされるのは本当に理不尽と思っていることでしょう。)自分と比べて、ついそんなことを思ってしまいました。

私はといえば、別に何事も成し遂げていないただのオバサンです。昔は、スーパーウーマンに少しでも近づこうと努力しました。それで多少は前進できましたが、まぁせいぜいこんなところです。それでも、56歳のこのトシまで、子供にも恵まれながら、ずっと仕事をして経験を積み重ねてくることができました。私よりも年上のワーキング・ウーマンは、少なくとも身の回りにあまり多くありません。かつて、このトシで働いている方はごく少数の「スーパーウーマン」でした。超絶的な才能や運や体力に恵まれていたり、お金持ちで家庭の管理を人に任せることができたり、子供をもたなかったり。そうではなく、自分で家事も育児もやるミドルクラスの普通の女性が、このトシまで仕事して経験を積む、という例は、日本でもアメリカでも、過去にはあまり多くないと思います。私達が、第一世代ぐらいかもしれません。

歴史に残る業績はヒラリーにまかせて、私は普通のオバサンとして、何かあったとしてもどうせ大したことない「最後の業績」を無理して追い求めるよりも、この後に続く世代の女性たちが「死ぬ思い」をしなくても普通にコツコツと仕事を続けていくモデルになるほうがいいのかもしれない、と思うようになっています。もう階段から落ちないよう、慢性病にもならないよう、あまりムリをせずひどいボロボロにならない程度に、コツコツとやっていこうかと思います。

一橋大での悲しい事件、問題は3段階ある

わが母校一橋大学において、ゲイの学生が、好きだと告白した相手が当人ゲイであることをバラされたことで自殺した、という悲しい事件がありました。

私にとって一橋大は、リベラルな雰囲気の居心地の良いところで、今私が住んでいる北カリフォルニアのように、LGBTなどに対してもダイバーシティ受け入れが進んでいるように勝手な印象を持っていたので、このような事件が起きたことが信じられません。それでも、起こってしまったことは事実であり、とても悲しく思います。

この事件へのコメントを見ていると、3つの段階の話が混じっているのですが、これは分けて考えたほうがよいでしょう。

(1)LGBTそのものに対する考え方・感じ方: LGBTに対して「キモイ」という反応をするのは悲しいことですが、今の世の中ではそう思ってしまう人が大多数です。これはこれとして戦っていかなければなりませんが、長い時間のあいだにこれが浸透しているいることを考えると、「キモイ」と思った学生の反応を一概に責められないとも思いますし、この風潮を変えるには長い時間がかかるでしょう。

(2)LGBTを「ネタ扱い」する風潮: ただ、こうした個人的な反応を「LINEでバラす」という行為は、LGBTをタブー視する文化背景とは別に、それを「ネタ扱いしてもOK」という、メディアで作られた空気に押されたのではないかと思います。LGBTに対してどう思うか、感じるかは個人の自由ですので、「自分にはとても受け入れられない」と思ってもよいのですが、それを「バラす」という行為は、社会的に許されないことである、という規範を作り、これをメディアなどでも推奨するべきと思います。昔は横行していた「セクハラ」が、現在でははっきりと「許されないこと」という規範となってきたのと同じことです。別な言い方をすれば、LGBTの「ネタ扱い」も、広い意味での「セクハラ」の一つと言えると思います。一般的なセクハラよりも、「タブー視」の度合いが強いLGBTでは、同じ「告られたことをバラして嘲笑する」ということであっても、男女間で起こる場合よりもダメージが大きいことは重視すべきです。

(3)大学当局の対応、専門家の対応: もう一つは、このゲイの学生があちこちに相談していたのに、結局最悪結果となってしまったことです。大学の対応がずれていたこともそうですが、専門家にも相談していたのに・・というのが悲しいです。大学当局の理解を進め、必要に応じて事情をよく知っている専門家と連携することと同時に、専門家自身も、このようなケースへの対応でなんとかもっと効果的な方法をマジメに考える、ということも必要なのかもしれません。

卒業生として、まずは大学関係者および卒業生の皆様、特に目の前の課題として、(2)と(3)について多くの方に知っていただきたく、私のご意見として申し上げたいと思います。

【ベイエリアの歴史43】ジャニス・ジョプリンのいたサンフランシスコ

さて、その1960年代のサンフランシスコといえば、ヒッピーの聖地でありました。

私はイーグルマニアではありましたが、60年代の音楽はリアルタイムでは体験しておらず、ジャニス・ジョプリンといっても、(1)名前の響きがやたらかっこいい、(2)ヒッピーとかウッドストックとかそのへん、(3)ドラッグで若死にした、という3点しか私的には認識しておりませんでした。ウッドストック(ニューヨーク北部)のイメージが強いので、東海岸にいたのかと思っていたところ、実はばりばりのサンフランシスコ音楽でした。

というのがわかったのは、ネットフリックスで「History of the Eagles」を先日見たために、今度は「Janice: Little Girl Blue」というドキュメンタリー映画がオススメされて、これを見たためです。

ジャニスはテキサスの生まれですが、変わり者で、地味な顔立ちで、今で言う「コミュ障非モテ」であり、学校では「ブス」や「ブタ」などと言われてひどくいじめられました。テキサスの大学を離れてサンフランシスコに流れてきて、そこで初めて自分が暖かく歓迎される「居場所」を発見しました。

50年代、すでに「ビート」「ビートニク」などと呼ばれる、前衛的な詩・文学の潮流が勃興していたサンフランシスコのコミュニティでは、超越的な体験を得る実験として、種々のドラッグが使われていました。ジャニスはそのコミュニティの中で、ドラッグで体をこわしてテキサスにいったん戻ったり、婚約者に裏切られたり、故郷ではまたいじめられたりして、さんざんに傷ついて、音楽をやりながら、1965年にまたサンフランシスコに舞い戻ります。そこで、ジャニスはBig Brother and the Holding Companyというサイケデリック・ロックのバンドのリーダーに気に入られ、リードヴォーカリストとして参加します。このあたりは、現在のシリコンバレーで、なんとなくコミュニティができて人のつながりでベンチャーができ、コミュニティの中でそれを育てていく感覚と似ています。

60年代後半、思想的には「ビート」の流れを汲むカウンターカルチャーが、より派手なスタイルの「サイケデリック」カルチャーとなり、「サンフランシスコ・サウンド」とよばれるサイケデリック・ロックが誕生しました。今のサンフランシスコ日本町の西南端から通りを隔てたあたりにあった「Fillmore West」などのライブハウスを舞台に、ジェファーソン・エアプレーンやジャニスが加入したビッグ・ブラザーなど、ちょっと離れたパロアルトでは、グレイトフルデッドも頭角を現しました。特に、今ではもっぱら水族館で有名なモンテレイで1967年に開催されたMonterey Pop Festivalが、ジャニスにとっての大ブレークスルーとなりました。

彼らは、すでにヒッピーの聖地として有名になりつつあった「ヘイト・アシュベリー」、つまりHaight StreetとAshbury Streetの交わるあたりに住みました。当時まだ合法だったLSDがふんだんにありましたが、ジャニスはドラッグの誘惑と常に戦っていました。

ビッグ・ブラザーは、モンテレイの後、急速に全国的に売れましたが、その注目はもっぱら、ブルージーでパワフルなヴォーカリストであるジャニスに集まりました。「バックバンド」扱いにむくれたバンドのメンバーとの間で不協和音が起こり、1968年には追い出されて独立。1969年のウッドストック・フェスティバルでは、自分のバンドをバックにして出演しました。

ドキュメンタリーでは、この頃のジャニスについて、「舞台でパフォームし、大観衆の喝采を浴びているときだけが、気分が高揚して安心していられる時間であり、いったん舞台から降りて一人の時間になると、耐えられないほどの孤独と不安に苛まれていた」と描写しています。婚約者に裏切られたあと、安定して彼女を支える人とはついに出会うことができず、男女両方でいろいろなパートナーに依存しては離れる不安定な関係が続きました。そして、ついにドラッグとの戦いに負けてしまいました。

ジャニスは1970年10月、ハリウッドでレコーディング中に、ひとりぼっちでホテルの部屋で、オーバードーズのために亡くなりました。ジャニスの最大のヒット曲である「Me And Bobby Mcgee」は、彼女の死後に発表されました。まだ27歳、メジャーな活躍期間はわずか3年間しかありませんでした。

ヒッピーについては、また別の機会にもう少し書きたいと思っていますが、そういうわけで、当時のサンフランシスコは、そんな若いヒッピー達が住み着けるほど、チープなアパートがあったんだなー、などと思わず感心してしまいます。