女性天皇の「論理」は「正統性」だと思う件

ちきりんさんが、「男女平等で女性天皇というのは論理破綻」という、面白い煽り記事を書いておられるので、この反語的なネタにマジレスしてみます。

結論からいうと、男女平等という「論理」ではなく、社会や環境の変化の中で、女性でも十分「天皇としての正統性を自然に感じられる」ようになってきたという話だと私は考えます。

現在の皇室典範というルールよりさらに一段上の視点から見て、そもそもなぜ皇室というものが現代の日本で存続しているのかというと、乱暴に単純化すると「みんな皇室が好きだから」ということになります。もう少し詳しく言うと、「皇室という存在が、日本という国を運営していく上で、歴史的に有用な存在だったことが暗黙の了解として共有されていて、今後も存在していたほうがいろいろと良かろうとなんとなく思っている人が大多数である」ということだと思います。

皇室がもつ役割は時代とともに変わっています。長い歴史の中で、実際に天皇が意思決定者や軍の総帥としての実権を持っていた時代はむしろ例外的で、ほとんどの時代、貴族(官僚)や将軍に正統性を付与する、超越的な象徴の役割であり、現代もそこにまた戻っていると言えます。

一時的に天皇が軍の総帥に引っ張り出された明治維新=帝国主義の時代、軍の総帥が女性であっては、帝国主義国家の体裁として弱いので、女性天皇はダメというルールができ、明治天皇は「強いリーダー」というイメージを付与されました。そして、男性の継嗣を確保するための仕組みとして、「側室」も当時としては当たり前でした。

しかし、時代は変わって現代、世界は帝国主義ではなく、天皇は軍の総帥ではなく、対外的にも国内的にも、天皇が男性でなければ日本国にとって不利という要素はほぼなくなりました。江戸時代以前、女性の天皇も存在した時代の「正統性を付与する象徴」という役割に戻った今、別に女性でも不都合はありません。「女性でも問題は特にないよね」ということなのですが、上記のようにグダグダ説明せずに簡単にコメンテーター的に言わなければならない場合、「男女平等だから」になってしまうかもしれません。

なお、サポート・システムとしての側室については、現代でそれを復活させろという意見はほぼありえないでしょう。

女性皇族がメディアにどんどん登場し、外国を訪問したり非営利団体活動をしたりなどの役割を果たす中で、女性皇族がたは皇室の主要メンバーとして広く知られ、親しまれています。女性宮家の議論の中で代替案としてよく上がる「旧皇族男性の復帰」という選択肢と比べてみると、なんだかよく知らない「旧皇族男性」よりも、女性皇族がたのほうが、私的にはずっと「正統性」を感じられます。

ここで私は「正統性」という言葉を何度か使いました。英語でいうとlegitimacy、マックス・ヴェーバーの「支配の社会学」の中で使われている用語です。支配される側の人たちが、支配者に対してなんらかの「正統性」を感じて納得しなければ、その支配は長続きしないことが多いのです。

日本でこれだけ天皇家が長く続いてきたのは、役割を変えながら、その正統性を大多数の人が支持していたからです。誰が天皇になるべきかというというルールは、さらにその上位概念である「正統性」から引き出されるものであって、一番重要な要件は、ルールそのものではなく、みんなが納得する「正統性」であると思います。そして、上記のように、現代は女性でも十分天皇としての「正統性」が担保されると思います。

ただ、「ベスト」が存在しない場合の「セカンド・ベスト」の要件が「男性である」ことなのか「より近い血脈である」ことなのかという比較になると、まだ議論が分かれるところです。

ちきりんさんの仰るように、「だれでも選挙で天皇になれる」というのは伝統型正統性に欠けるためにありえないというのはわかりますが、では例えば天皇の「娘」と「弟または甥」のどちらが正統性が高いか、ということになると微妙で、人により意見が異なります。そこがしばしば「お家騒動」のタネになってしまうので、ルールが作られるわけです。そして、今のルールは「男性である」ことを上位においていて、それが続けられる限りはそれでよいとしましょう。

ここで、十分な数の男性皇嗣候補がいるならば、ルールを変える必要はないのでしょうが、現実には今そこが大問題です。側室がありえないとすれば、選択肢としては「1.誰もいなくなったら家をたたむ」「2.女性でも天皇になれるようにルールを変える」「3.(旧皇族などから)男性の養子を迎えられるようルールを変える」などが考えられます。

どの方向に転んでも現状のルールを変えなければならないとなったら、さて、どの選択肢が皆さまはお好みですか?どれが長期的に安定したルールになりえますか?いずれ、国民の大多数が「正統性」をより強く感じられる方向に落ち着いていくでしょう。

(上の絵は、最後の女帝、後桜町天皇)