少し前に、スーパーのレジでローリングストーン誌「イーグルス特別号」を見つけて衝動買いして以来、イーグルス祭りのマイブームがまだ継続中です。
広告がひとつもはいっていないこのムックを裏表紙まで舐めるように読みつくし、2013年のテレビ・ミニシリーズ「History of the Eagles」をネットフリックスでビンジウォッチ、2009年刊のドン・フェルダー著「Heaven and Hell: My Life in the Eagles」をオーディオブックで読破、過去のアルバムを聴きまくり、数多のインタビューやミュージックビデオをYouTubeで拾いまくり、といった具合に、1970年代には到底不可能だった、多様で深い情報を消費してくると、日本の田舎のティーンだった私には想像もつかなかった、当時の彼らの生活とロサンゼルスの「繁栄と頽廃」の様子が浮かび上がってきます。
前回の【歴史】シリーズに書いたように、アメリカ社会の枠組みは1980年代から大きく変わりますが、70年代はその序曲ともいえる時期でした。ウォーターゲート事件、ベトナム戦争敗北、そして1973年の第一次と1979年の第二次石油危機によって、それまでの「石油と自動車と大量消費」というエコシステムでどんどん高度成長していたアメリカ経済に急ブレーキがかかりました。当時日本にいた私には、イーグルスやディスコ音楽など、「楽しい」部分しか見えていませんでしたが、「現場」では、暗い雲がかかってきた未来から目を背けるため、その前に完成した仕組みと蓄積した富をつかって、ドラッグと金ピカ消費に突っ込んでいた時代だったのだ、と改めて思います。
例えば、「ホテル・カリフォルニア」のあの忘れられないギター・リフをつくったドン・フェルダーですが、この手記によると、幼少期、父親は機械工場で真っ黒になって奴隷のように働いてもたいした給料がもらえず、家族は非常に貧しく、その暮らしから抜け出すために、兄は弁護士となり、弟であるドンはミュージシャンとして成功したのだそうです。今から振り返ってみれば、彼の生まれ育った50-60年代は、こうした「アメリカン・ドリーム」成功譚が日常的に可能な時代でしたが、彼の成功が頂点に達した70年代以降、その夢が徐々に失われていきます。
アルバム「ホテル・カリフォルニア」の楽曲を、英語がだいぶわかるようになった現在、改めて聴いていくと、「太陽が海の向こうに沈んでいく」ような、詩人ドン・ヘンリーの手による言葉の風景が次々と目に浮かんできます。彼らはそんな南カリフォルニアの生活と文化を、揶揄と憧憬と諦観が入り混じった表現で歌っています。
アメリカは、そんな「終わりの始まり」の時代を、完成度の高い音楽に定着し、世界的なポップ文化の金字塔として残すことができて、ラッキーだったと思います。この時期のロサンゼルスの繁栄と頽廃は、文化的にも歴史的にも、日本のバブル期と似ていると思うのですが、日本のほうは残念ながらイーグルスに匹敵する「作品」として結実したものは私には思いつきません。
さて、南で「ホテル・カリフォルニア」が発表された1976年、まだまだヒッピー文化が色濃く残っていた北カリフォルニアでは、アップル・コンピューターが創業しました。歴史的には、南より北のほうが、早く都市が形成されたのですが、産業の興亡においては、現在に至る「北」の繁栄はもっと最近の事象です。
時代的にいうと、90年代の「ネットバブル」がひとつのエポックでしたが、現在までも、景気循環を繰り返しながら、だんだんと「繁栄と頽廃」のサイクルが盛り上がっているような気がしています。かつてのような「ドラッグと金ピカ」の替りに、高いお値段のモダン風の家で「ケールとキノーラ」を食べながら、ベンチャーキャピタル用語を駆使してネットワークし、いい大学に入れるために子供をアフリカでボランティアさせ、野生動物を保護する非営利団体のパーティに盛装して出かけて・・といった、シリコンバレーの「ヒップスター」文化は、ますます勢いを増し、そのサークルの外側にいる人達との軋轢はますますひどくなりつつあります。しかし、この地に20年以上住んで、ヒップスター的なものに憧憬をもってきた自分自身も、(ライフスタイルはお金が足りないのでそこまでできませんが)この価値観にどっぷり漬かって、容易にぬけ出すことはできない、と感じています。
「Throwing rocks at the Google bus」という本を、今、読み始めています。この現象を「頽廃」と呼ぶべきかどうかはなんとも言えませんが、新しい豪華なオフィスビルの入り口に佇んで、「You can check out any time, but you can never leave」という謎めいた歌詞と、「ホテル北カリフォルニア」ということばが、ふと浮かんできたのでした。