経営

【ナンデモ歴史55】信長のマントはどこから来たか ー 「毛織物」の歴史的意義

戦国時代のドラマで織田信長が出てくると、アイコン的に「マント」を着ていることが多いですよね。「直虎」でも、市川海老蔵演じる美しくも恐ろしい信長が、豪華な刺繍のはいったマント姿で、豆だぬき家康を踏んづけていました。

マントは南蛮=欧州からでないと入手できない高価な品である、という約束事を、見ている人も暗黙の了解をしている上での描写であります。

で、その「欧州」ですが、正確に言えば、日本に最初にやってきたのはポルトガルとスペイン、半世紀ほど遅れてオランダとイギリスです。欧州といってもフランスもドイツもいません。この時代、1500-1600年代頃に、はるかアジアまで船を出していたのはこの4カ国だった訳です。(ドイツという国はその頃まだありませんでしたし。)

前者のカトリック2国が「南蛮」、後者のプロテスタント2国が「紅毛」と呼ばれ、宗教改革の余波で日本に競争で布教にやってきた、と学校では習ったように記憶しています。しかし、こんな遠くまで来るにはたいへんな投資がかかるので、単なる宗教の布教ではなく、それなりの見返りを期待したはずです。では、そのビジネスモデルとは何か。

この時代より少し前、ヴェネツィアが地中海貿易の中心地だった頃は、アジアから胡椒や絹を仕入れて欧州で売る、というビジネスモデルでした。では、欧州からアジアへは何を売っていたのか、ちょっと調べてみましたがはっきりしません。穀物やガラスなどの工芸品かな、という感じですが、あまり大きなマージンがとれるわけでもなさそうです。

大航海時代にはいり、貿易の中心地が大西洋に移行すると、ジェノヴァ人クリストファー・コロンブスにエンジェル投資したスペインが、南米で銀を掘り当ててエグジットに大成功(歴史シリーズ(2)参照)し、その後せっせと銀の収奪貿易に精を出すようになりました。

いずれも、あっちとこっちの価格差を利用したアービトラージというビジネスモデルです。

その流れで、南蛮人が日本までやってきたのは、マルコ・ポーロのいう「黄金の国」で金を掘り出そうという目的だったのかと思っていました。

しかし、実は商品(銀、胡椒、絹)を安価に入手するというだけでなく、どうやらちゃんと売るものもあった、ということに気が付きました。

それが、「マント≒毛織物」だった、というわけです。やたら長い前段ですね・・すいません。(欧州から日本にはいってきたもう一つの主要品目は「武器」で、こちらのほうが儲けも大きかったと思いますが、ここでは毛織物に注目します。)

羊を飼うのは、はるか前史時代に中央アジアで始まりました。当時、羊は今のようなモフモフではなく、ヤギのような短い毛で、主にミルクと肉と毛皮を目的として家畜化されました。そのうち、紡績技術が出てきて、短毛羊の中でもお腹側にちょっと長い毛のあるヤツがいたのでその毛をとって紡績してみると、とても調子がいいということで、だんだんに長い毛をもつ羊を交配するようになり、数千年をかけて、現在のようなモフモフ羊ができました。

羊と毛織物技術は、ヒッタイトやスキタイを経て欧州にも伝播し、古代ローマ時代には、毛織物のマントが兵士の標準装備となりました。ローマ帝国崩壊後、いったん毛織物工業はすたれますが、中世半ば(西暦1000年頃)にまた各地でぼちぼちと復活しました。そして中世末期には、主要生産地がいくつか興隆し、欧州全土で人々の衣服に使われるようになり、ヴェネツィアは欧州の毛織物をイスラム諸国に輸出するようになりました。

この頃、羊を飼ってウール素材をつくる部分については、イギリスとスペインが最大生産地として確立しました。イギリスは、降雨時間が長いため、羊の餌になる草が長期間にわたって生える、という長所があり、スペインのメリノ種の羊は、高品質のウールを作るのに適していました。そう、イギリスとスペインなのです。

そして、素材に加工して織物製品にする技術は、イタリアや低地諸国で最初に発達しました。どちらも、ヴェネツィアとアントワープ、すなわち海運・金融・商品市場という交易のためのインフラをもつ地に近いという特徴があります。その後ヴェネツィアは衰退し、アントワープの市場はアムステルダムにその地位を奪われます。オランダ(ネーデルラント連邦)は、1568年から始まるオランダ独立戦争でハプスブルグから独立したばかりの新興国でした。(種子島にポルトガル人がやってきたのは1543年ですから、その頃はオランダという国すら、まだ存在していなかったことになります。ちなみに、イギリス国教会成立はさらにそのちょっと前、1534年でした。)

そもそも、オランダ独立戦争というのは、毛織物工業ですでに豊かになっていた低地諸国に対し、伝統の結婚政策でこの地を手に入れたスペイン・ハプスブルグ家が圧政を加えたことに端を発します。「圧政」のひとつに、プロテスタントへの迫害もありました。少し前にフランスでも同様の背景で「ユグノー戦争」がありましたが、この頃プロテスタントになったのは、毛織物を代表とする「手工業」に従事する、当時の「新興テクノクラート層」の人々でした。伝統的な農民とその領主(私の定義による「第一世代」)の枠組みから脱して、手に技術をもって工業製品を作るメイカー的な人たちであったため、第一世代の社会を安定させることに最適化したヒエラルキー重視のカトリックに不満を持っていたわけです。

つまり、南蛮=カトリックは「伝統的農業経済」、紅毛=プロテスタントは「新興手工業経済」の象徴でした。

カトリックながら毛織物工業をもっていたスペインは、日本との貿易では先行して、毛織物や武器を売りにやってきました。しかしその後長期的に、後者の「新興国」のほうが勝ち組となっていきます。

日本では関ヶ原の合戦があった1600年、イギリス東インド会社が設立され、その2年後にはオランダ東インド会社が続きます。オランダとイギリスの船が日本に来るようになったのは、その後です。

その後の半世紀ほど、英蘭戦争で敗れるまでがオランダの最盛期でした。イギリスでは、毛織物工業のための「囲い込み」が16世紀と18世紀に起こり、その後の「産業革命」の基礎となる資本蓄積が行われます。

毛織物工業とは、歴史的にとても大きな意味があるのですね。

で、冒頭の信長のマントですが、そういうわけで、1582年の本能寺の変より前ですから、おそらくスペイン(もしかしたらポルトガル)から来た、たぶんメリノウール、ということになります。

それだけの話のために、延々と語ってしまい、本日も大変失礼いたしました。

出典:

http://quatr.us/clothing/wool.htm

https://www.thoughtco.com/wool-the-common-cloth-1788618

【記事掲載のお知らせ】シリコンバレーの新型日本ベンチャーたち

先日のイノベーション・アワードをネタに、「シリコンバレーにおける日本のベンチャーたち」という記事が、ビジネス・インサイダーに掲載されました。

https://www.businessinsider.jp/post-100715

シリコンバレーで戦う、注目の「新・日本型スタイル」ベンチャーたち レッドオーシャンを勝ち抜けるか?

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【記事掲載のお知らせ】ファッション弱者にもありがたいベンチャーたち

BIJに記事が掲載されました。今回は、先週発表されたアマゾンの「おまかせ洋服ボックス」の先駆けであるベンチャー群を、自分の体験も交えて書いてみました。

ファッション・コスメの分野だと、シリコンバレーよりもニューヨークのベンチャーが多く活躍しているのが面白いのですが、どうしても服のセンスが「ニューヨーク」風です。かといって、サンフランシスコ風だと「なんか、ユニクロでよくね?」と思ってしまうという問題もあります。

で、ニューヨーク風でいいやと思ってやっていると、久しぶりに会った友人から、「かいふさんがスカートはいてるの、初めて見た!」とか驚かれたり😅 なんせ、ファッション弱者です。

https://www.businessinsider.jp/post-34659

アマゾン支配とはならない。定額レンタルやオンライン試着

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【記事掲載のお知らせ】ホールフーズのもろもろ

このたび、ビジネス・インサイダー・ジャパンに寄稿することになりました。第一弾は、ホールフーズの件です。連載ではなく、随時寄稿となります。よろしくお願いします。
https://www.businessinsider.jp/post-34472

アマゾンが買収したホールフーズ創業者は「オーガニック運動」実践者でリバタリアン

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「売らないドレス屋」に行ってみた

相変わらず、日本でもアメリカでも、大型小売店舗がダメダメという報道をあちこちで見かけます。

かく言う私は、友人に勧められ、昨夏頃から「洋服の定額制オンラインレンタル」というサービスを利用しはじめて以来、お店で服(下着以外)を買うことがほとんどなくなりました。

そして先週、女子会仲間と連れ立って、サンフランシスコに「ファッション・ショッピング」に出かけましたが、行き先はそういうわけで「売らないドレス屋」2店。

ひとつは、Rent the Runwayという、普段着・ドレスの「月額定額レンタルサービス」。手元に3枚まで持っていてよい、という制限があり、何回返してもOKという、NetflixのDVD郵送レンタルと同じ方式です。詳細は、渡辺千賀さんのブログに書いてあるのでこちらを参照のこと。パーティドレスのレンタルから始まって、現在は普段の仕事着やリゾート着などもそろっています。

さて、このレンタルサービス、本拠はニューヨークで、それ以外にも全米いくつかの都市に「ショップ」を持っており、最近サンフランシスコにもオープンしたので、行ってみたわけです。場所は、ユニオンスクエア近くの高級デパート、ニーマンマーカスの一角。ぱっと見普通のブティックのようですが、要するに「試着オンリー」。カウンターで借りているものを返したり、注文済みのものをピックアップしたりもできますが、基本的にレンタルのトランザクションはネットでやらねばなりません。ただ、(たぶん予約しておけば)ドレスなどを「その場で借りる」ということもできるらしいですが。

そういうわけで、置いてある洋服はそれぞれ一枚(つまり一サイズしかない)で、店に在庫はありません。試着といっても、自分のサイズがあるわけではないので、小さすぎるのを無理やり当てたり大きすぎるのをつまんでみたりしながら、想像をはたらかせます。それでも、やはりネット上で見るだけよりは自分に似合うかの感覚はわかる、まさにショールームというわけです。

もうひとつの行き先は、MM Lafleurという、オンライン・ブティック。こちらもニューヨークの会社で、オンラインで自社ブランドの服(仕事着ぽいものが多いが、体にやさしくフィットして着心地がよい)を売っていて、ショールームをあちこちの都市で行脚しており、ときどきサンフランシスコにもやってきます。ここも試着オンリーで、自社ブランドだけなのでチョイスも少ないですが、サイズは大体そろっていて自分のサイズを試着できます。スタイリストさんに希望を言うと、いろいろ見繕って持ってきてくれて、買いたいものがあれば、その場でオンラインオーダーを入れてくれます。基本的には予約が必要ですが、私はこれまで2回とも、友人の予約に付き添いでついていって、それでもついでに試着させてくれます。店では、シャンパンまでふるまってくれる、本当に「サービス」ビジネスという感じです。

こうやって考えて見ると、トラディショナルな小売店というのは、上記のような「サービス」の部分に加えて、在庫を持っていなければならない、という重荷があります。販売のトランザクションの手間ももちろんあります。それがない、「スタイリストが試着だけさせてくれるサービス店」というのは、大幅に小売店のコストを軽減することになります。デパートのパーティドレス売り場では、返品率が異常に高い(パーティで一回着て返品する人がものすごく多い)という話もあり、デパートはパーティドレス売り場はやめたいらしいので、それよりはレンタルのほうが理にかなっています。最近はeコマースの配達部分の人が雇えなくてコストが上がり、困っているので、その問題はありますが、別の部分に課題が移行する感じ。

千賀さんのブログにあるように、このビジネスモデルが果たして長続きするのかどうか、まだわかりません。ただ、「小売業」の役割のうち、かならずしも「陳列・在庫・販売」のセットを全部そろえていなくても、バラして役割を持たせるというモデルも、試されているということになります。私としては、千賀さん同様、レンタル・サービスをありがたく満喫しているので、ぜひなくならないでほしいところです。

オリンピックの「オンデマンド放映」とは何か

オリンピックというのは、きわめて多くの種目のスポーツが同時並行して競われ、きわめて多くの国が参加して、きわめて多くの視聴者が世界中にいる、という、究極のビッグデータ的イベントです。

周波数と一日24時間という大きな制約がある地上波テレビでは、その中からごく一部分しか抜き出すことができません。また、地上波テレビは多くの場合(日本ならNHK以外)CMでお金を稼ぎますので、CMが流れる瞬間になるべく多くの人が見ているようにしなければなりません。このため、どうしても「最大公約数的」に、その国の選手が活躍する+テレビ向けのメジャーなスポーツを選んで放映します。

アメリカは1970年代頃からケーブルテレビが普及しだして、何度かの政策的な後押しを経て、現在では全家庭の85%程度が、ケーブルまたはその競合の有料テレビを契約するに至っています。ケーブルでは周波数の制約がないので、きわめて多数のチャンネルを設定することができます。スポーツは地上波・ケーブルのキラーコンテンツでもあり、アメリカのテレビ業界ではスポーツは特別な地位にあります。アメリカでは、4大メジャー局のひとつNBCがオリンピック放映権を持っていますが、NBCは傘下にNBCSN、MSNBC、Bravo、USA、Telemundoなどのケーブル・チャンネルがあり、これらのケーブルチャンネルでも放映しています。それでも、放映される中身はやはりテレビ局が選んで編成しています。

さらに、ネットでのオンデマンド放映もあります。この形態がいつ始まったかはよく覚えていませんが、オリンピックでいうとすでに数回はオンデマンドでやっています。最初のうちは、「オリンピック・オンデマンド・パッケージ」のような形で有料でサインアップしなければならなかったので、全く人気がありませんでしたが、2010年前後から、テレビ業界が「ユーチューブ対策」として「TV everywhere」とよばれる方式を積極的に導入し、ケーブルテレビの契約者がパスワード認証で他の端末(パソコン、スマホなど)で番組を見られるようになり、ケーブル契約のオマケとして、オリンピックのオンデマンドが見られるようになっています。

NBCはこの(1)地上波(2)ケーブル(3)オンデマンド、の3つの方式のミックスでオリンピックを放映しているわけで、それぞれの方式に一長一短があり、それぞれに合わせた中身とビジネスモデルになっています。いずれもCMとケーブル会社から受け取る配信料の組み合わせで、(1)はCMの比重が大きく、(3)は配信料が大きく、(2)はその中間となります。

ここで「ケーブルからの配信料」というのがキーとなります。ケーブル契約者(単純化するためにケーブルと呼びますが、衛星テレビなど他の有料テレビでも同様)は、月に100ドル以上の高い加入料を払っています。NBCなどの地上波チャンネルも、MSNBCなどのケーブル専門チャンネルも、加入者が払う加入料から一部をコンテンツ料金として受け取る仕組みになっています。地上波主要局とESPN・ディズニー・ディスカバリーなどといったケーブル専門の主要チャンネルは、「ベーシック・パッケージ」という基本サービスに含まれており、それ以外の例えばHBOなどのプレミアム・チャンネルは個別に契約することになります。

地上波テレビは、日本と同様アメリカでも、CM収入が下がりつつあり(それでも多いですが)、これを補うために、地上波各局は配信料を引き上げるようケーブル会社と交渉(時には決裂して、チャンネルがブラックアウトしてしまうことも)したり、ケーブル専用チャンネルを買収してチャンネル数を増やしたりしており、「オンデマンド」の展開もこの努力の一つです。オンデマンドで視聴する加入者は、ケーブル契約者であり、ユーザー名でトラックすることもできるので、その分の配信料受け取りを増やすことに加え、ユーザー・プロファイルに合わせた広告を配信(テレビと同じような番組埋め込みCM)することも可能です。(やっているかどうかわかりませんが)

オンデマンドの場合は、NBCのサイトでスポーツ種目や選手名からサイト内サーチをかけることができます。例えば「Kei Nishikori」でサーチすると、錦織の出ている試合でオンデマンド配信されている過去の動画がずらっと出てきます。そのうち見たいものをクリックすると、ケーブル会社のアカウント情報(ユーザー名とパスワード)入力を求められ、ログインなしでも初回は「お試し30分」だけ見られますが、それ以上はログインする必要があります。動画は、見慣れた試合中継のようなアナウンサーも解説者もおらず、試合の映像と場内の音声が淡々と流れるだけです。(ただ、映像は通常のスポーツ中継と全く同じで、点数をとった選手をアップにしたり、水泳では水の中からの映像がはいったりなど、画面が切り替わってわかりやすく見せるようにはしています。)

NBCのサイトは必ずしもインターフェースが使いやすいとはいえませんが、それでも「日本選手を見たい」とか、「マイナースポーツを見たい」という人にはとてもありがたい仕組みです。これだけ大量の動画を短期間に多数の視聴者が集中する環境で、認証して配信するというのはかなりの技術が必要で、つい職業病でそちらの心配をしてしまいますが、今やビッグデータ技術の進展のおかげで、このような配信方法が可能となっているわけです。アメリカでも、最初の頃はもっと見づらくて大変でしたが、技術面でもどんどん進歩しているのがわかります。

一つ、重要なポイントとしては、オンデマンド配信が始まってから、テレビの視聴者はかえって増えているということが一般に言われています。今回のリオも、(例えばロシアがドーピングでやられてその分アメリカがメダル独占状態という点もありますが)過去最高の視聴者数になると見込まれていますし、例えばアメリカン・フットボールなどでも同様の結果が出ているので、テレビ各局は積極的にオンデマンド技術に投資するようになっています。

アメリカでビジネス的にこれが成り立つのは、上記のように「ケーブル契約が高くて、配信料としてコンテンツ各社にもたくさん流すだけの原資がある」という特殊事情があります。また、2007年の「脚本家組合スト」をきっかけとして、コンテンツ会社が受け取ったコンテンツ料を、俳優・監督・脚本家から各種スタッフに至るまで、どれだけの配分をするかという仕組みも整備されているため、テレビを作る人たちも、こうしてオンデマンドからの配信料が増えると自分たちも潤うというインセンティブがあります。

私は最近の日本のオンデマンド放映事情をあまり詳しく知らないのですが、Newspicksのコメントを見る限り、まだそれほど進んでいないように見えます。その背景事情はとりあえず置いておき、日本でも今後、「CMではない加入料を誰が入り口で十分な額徴収するか(お金の入り口の多様化)」という点と、「コンテンツ配信料をどう配分するか」という点を、アメリカとは背景が違うので、日本式のやり方で整備する必要があると思っています。絶対ダメな理由がいくらでも出てくることを覚悟でいうと、私は、NHK料金徴収の仕組みを使い、NHKが子会社を作って「配信インフラ」と「料金回収」のプラットフォームになり、民放のオンデマンド配信を代行するのがいいのでは、と思ったりしています。

アメリカの場合、ケーブル料金が高いというのは継続的に批判を浴びている点ではありますが、そのおかげで、上記のように試行錯誤したり、制作方式や配信方式に先行投資したりする原資ともなっているワケです。そして、こういう大手のユーザーがあるために、アメリカではビッグデータのスタートアップがどんどん生まれてくるというエコシステムも形成されています。

日本のブロードバンドや映像配信サービスはアメリカと比べてあまりにも遅れていて、いわば「ビジネスモデルのトリクルダウンの一番トップ」にあるべき映像サービスの遅れが、日本のIT競争力をさらに弱めてしまうと懸念しています。ちょうど、東京オリンピックもあることですし、テレビ局の及び腰の元凶と言われてきた某芸能事務所も弱体化の様子を見せていることですし、ここで頑張って、日本でもテレビのオンデマンドを本格的に拡大する努力を、テレビ側の人たちがすべき、と私は考えています。

みんなでお手々つないで貧乏になった「非格差社会日本」

さて、前回の「格差社会」の続きの話です。

よく取り沙汰されるこの「トップ1%が超金持ちになっている」というアメリカのグラフに相当するものが日本でもないかと調べてみたところ、区切り方が違うのですが、上位20%と下位20%の所得水準推移というグラフが出てきました。(研究者本川裕さんという方のサイトから引用しました。政府の家計調査をもとにした個人の研究のようで、ソースの数字検証まではしていませんが、長期にわたって研究されていることや説明がきちんとされていることなどから、信用に足ると判断しました。)

これによると、上位も下位も、仲良く一緒に所得が下がっている(そして、最近ではむしろ格差が縮小している)ということがわかります。その理由として、作成者の本川氏は、「景気循環と所得のビヘイビア」と「年齢層の推移」の2つを主な要因として挙げています。前者は、2000年以降の長期停滞期に、高所得層の所得低下が起こった一方で、低所得層ではそれ以上は下げられないから停滞という現象です。ただし、ソースに単身世帯が含まれていないので、ニート・フリーターや独居老人が除外されており、これらも含めれば多少異なる数字となるかもしれません。

一方、後者のほうが、日本における年齢層と所得の相関関係を要因としているので、話としては面白いです。年功序列の中では、一般に高年齢層のほうが所得が高くなります。この図でいえば90年代の格差拡大時に、高所得層は50歳代が一番多い比率を占めていました。しかし、2000年代以降は、高所得層に占める50歳代が減少する傾向にあるそうです。年功といっても、60歳代以上は年金生活者が増えるので、より低い所得層に移行する人が多くなります。つまり、2000年代なかば以降の格差縮小は、本来なら年功序列で給与が最大になるはずだった50台の人たちがそんなに貰えなくなっている、年功序列が崩壊している、ということを表しています。

一方、「格差社会」のアメリカではどうかというと、オバマ政権の間、前回お話した「所得上位者」のほうは手をつけず、もっぱら「最低層の底上げ」に注力していた、というのが私の印象です。リーマン・ショックで傷ついた金融セクターを「救済する」ということでいろいろ批判があり、もうひとつの金持ち製造装置であるシリコンバレーについては、ITを使っていろいろな課題を解決しようという方向(例えば、電子カルテ化や電力スマートメーター導入のための補助金、ロボット研究開発のための大学への拠出金など)で間接的に支援しました。最低賃金は、連邦の最低賃金は変わっていませんが、主要な州で2014年に広範な引き上げが行われ、シアトルは先頭を切って時給15ドルに向けての段階的な引き上げが始まっています。

これに対し、バーニー・サンダースが強力に主張し、選挙戦で粘ってついに今週の民主党大会での綱領とヒラリーの政策に入れさせたのが、「金持ち」対策です。「お金持ちになる」のはいいけれど、いったん金持ちになったら、「フェア」な税金を払ってね、ということです。(さすがに「お金持ちになっちゃいけない」と足を引っ張ると、イノベーションと産業成長を阻害する、極めてアンチ・アメリカンなことですので。)他にも、公立大学の無料化や金融セクターの規制強化など、直接お金持ちからお金を奪うわけではないけれど、現在お金持ちでないより広い範囲の人にチャンスを与えようという政策を掲げています。

今週木曜日の民主党大会の最終日、ヒラリー・クリントンの指名受諾演説では、これらの政策を取り入れることを明言、特に「お金持ちにフェアな負担を」という点を強調していたのが印象的でした。ヒラリーが大統領になったら、いよいよ「キャピタルゲイン税の引き上げ」ということになるかもしれません。

<出典> 社会実情データ図録(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/)<写真>民主党大会でのクリントン指名受諾演説、Getty Images>

 

アメリカと日本の「格差社会」の類似と違い

アメリカの格差社会があまりにひどくなってきたことが、今年の大統領選大荒れの背景である、という話を以前のブログで書きました。昨日の民主党大会でバーニー・サンダースが演説をしましたが、このスピーチは彼のこれまでの主張をコンパクトにまとめて埋め込んでいるので、ご興味ある方は動画で全文視聴してみてください。

「ベイエリアの歴史41」で書いたように、サンダースの主張は、私が少し前に読んだ経済学者ジョセフ・スティグリッツの本の内容とほぼ合致しています。(ただし、サンダースは自分の経済政策アドバイザーが誰かは公表していません。)現在アメリカの格差社会がどれほどヒドイかという話はあちこちで流布していますが、では「なぜそうなったのか」という点については意外に語られていません。おそらくは、見解がいろいろあって定説になっていないのだと思いますが、とりあえずまとまったもので私が読んだのがとりあえずこの本なので、それを下敷きにして、日本と比較してみましょう。

アメリカに関していえば、(1)「所得上位の1%」の収入はどんどん増えているのに、(2)「下位90%(つまりほとんどの人)」は全く増えていない、という2つの方向で格差が拡大しています。このうち、(1)は日本にはあてはまらず、(2)のほうは日本でも似た現象である、と私は思っています。そして、どちらの動きも、「製造業からサービス業へ」という、先進国共通の大きな経済構造の動きに加えて、アメリカ特有の政策チョイスによるもの、と思います。

 

どちらもいろいろな要因が絡んでいますが、わかりやすいところで言うと、まず(1)は「リスクをとって起業したり、新しいものや海外に投資したりする人たちに大きな報酬を支払うことにより、産業を興隆させよう」という政策的な意図があり、これに伴って「キャピタルゲイン税率が、お金持ちの所得税率より圧倒的に低い」という仕組みがあります。所得税は累進制ですので、高額所得者は40%となりますが、キャピタルゲインは15%です。このため、シリコンバレーを含めた米国企業の幹部は、給料をもらうよりも株をもらうほうを好み、短期的に株が上がるような企業行動をするようになり、投資銀行は株があがるようにハイリスク・ハイリターンの行動をするようになっており、これがリーマン・ショックの引き金となりました。いわゆる「サプライサイド経済」で、企業が儲かれば従業員にもトリクルダウンするという政策が、特に70年代以降に政権をとることが多かった共和党政権下で続いたことによるもの、ということになります。そして、80年代にウォール街、90年代の「ネットバブル」の時期にシリコンバレーが、突出して金持ちになってしまいました。

(2)のほうは、やはり70年代以降、「雇用よりインフレ抑制」を重視した経済政策が続き、雇用がなかなか増えなかったこと、および法的・イメージ戦略的に、労働組合の力をそぐ方向での種々の手が打たれた結果、分配を要求するパワーバランス調整装置がなくなってしまったこと、セーフティ・ネット不在により、いったん脱落した人が仕事に戻れないこと、などを主な要因としてスティグリッツは挙げており、特に「組合」については、グローバル化により海外に職が奪われることよりも影響が大きかったとしています。

(1)に関しては、サンダースやスティグリッツが攻撃する「産業振興のためにリスクテイカーに大きな報酬を払う」という仕組みのおかげで、アメリカでは少なくとも、アップルやグーグルなどの新しい成長産業が勃興しており、シリコンバレーには大金持ちがたくさんいて、お金持ちになりたい若者が世界から集まって、破壊的なビジネスを日夜試しています。

しかし、社会階層的だけでなく地域的にもトリクルダウンが起こっていない(シリコンバレーはバブっているのに、他の地域にはその恩恵がいかない)ために、新しいサービスや製品の「お客さん」になってくれるはずの「中流階級=消費者」がどんどんいなくなってしまう、という危機感が、シリコンバレーで高まってきています。

しかし日本では逆に、「(1)が欠落しているがために困ったことになっている」と感じています。リスクテイカーへの報酬が小さく、雇用維持を重視してダメ企業でも「雇用マシーン」として生き残る政策が長く続きました。従来型の企業による終身雇用以外の有効な雇用調整装置がない(ここから脱落すると「派遣・パート」というより低い層にクラスチェンジせざるを得ない)ので、会社で働く人はリスクを避けて会社にしがみつかざるを得ず、「何かを新しくやって失敗したときに大きなペナルティをうける」と「何もしないでインセンティブもないがペナルティもない」という選択肢の間で「何もしないほうを選ぶ」という行動が蔓延しました。

その結果、アメリカほどの格差はないけれど、既存企業が活力を失い、新しい産業が興らない状態が続き、結局は倒産やリストラで職を失う人が増えました。分配しようにも、その原資が企業側になくなってしまった、ということになります。悪循環はどこかで止めなければいけないので、ここしばらくシャープ・東芝・タカタなどの問題が表面化して、企業の再編が起こっているのは、安倍政権の意向なのでは、と私はつい考えてしまいます。

・・が、本当に「原資」はないのでしょうか?アメリカでよく引き合いに出されるのが、「労働生産性はずっと上がっているのに賃金が上がっていない」というグラフですが、では日本では、と探してみると、日本のほうがずっとその傾向がひどい、というOECDの統計によるグラフが出てきます。(アメリカでよく使われる図とは、少々違いますが。)

私もまだ調べている最中で、結論というほどの確信はもてませんが、なにしろ日本はアメリカと少々違う経緯ですが、やはり(2)方向の停滞と生産性の停滞により、中流=消費者の崩壊がじわじわと進んでいるように思えます。

<追記>続きを書きました→http://www.enotechconsulting.com/blog/2016/7/30

【書評】「ヴァティカンの正体」とアップルの与太話

【書評】「ヴァティカンの正体」とアップルの与太話

知ってる人はとっくに知ってる話だが、著者であるイワブチと私は、本書の中にしばしば登場する「フランス系カトリックのミッションスクール」で小学校から高校まで同級生であった、という超腐れ縁である。その割にはアメリカに来てから本書にあるようないろいろな「違和感」があって、すっかり教会に行かなくなってしまったのも同様。なので、この「ヴァティカンは歴史上最もsuccessfulなメディアである」というストーリーは、いろいろなところで「あー、あるある」と思えて笑ってしまう。特に、「ジョブスとiPhoneとiOSは父と子と精霊の三位一体」とか「ティム・クックは聖ペトロ、アップルは今使徒行録の時代」あたりは大爆笑である。わが地元では、同じアップルストアでも、パロアルトにあるものは「ご本尊」だったか「総本山」だかと言われていて、みな定期的にお布施をしにいっているし。

そういったお楽しみレベルでは、もしかしたらキリスト教のバックグラウンドのない方にはそれほど爆笑できないかもしれないが、それでも彼女が言いたいことはわかるだろう。キリスト教が世界のメジャーな宗教である現代から歴史としての過去を見返せば、なんとなく当たり前に見えているが、考えてみれば紀元4世紀とか5世紀といえば日本ではまだ弥生時代。そんな時代に、公会議で教義を徹底的に標準化し、世界に対して布教するつもりで早い時期から多言語対応し、トップの教皇庁と世界の隅々に張り巡らした地元の教会のネットワークを作り上げるというのはすごいことだ。(もっと最近でも、モルモン教は「多言語化」を強力に推進しているのはご存知のとおり。)このあたりは、ローマ文化の随所に見られる「仕組みづくりの天才」という環境のおかげかもしれない。(この点においては、まさにアメリカは現代のローマ文明だと常々思っている。)ラテン語という標準語の使用、「❍章❍節」というマーキングが徹底的に標準化された聖書のフォーマット、教会の構造も典礼の順序も完璧に世界標準。たとえ知らない言語の国に行っても、今どこをやっていて、聖書のどの部分を読んでいて、どのタイミングで立ち上がるとか膝まづくとかがわかる。改めて考えてみるとカトリックのグローバル戦略というのは、さすが2000年かけて生き残ってきただけのことはあって、感動モノである。

そして、現代において「文化的存在」として世界に冠たる存在となり、イタリアの経済にも大いに貢献しているその戦略。どこまでが結果オーライなのかはわからないが、確かに正しい時点で正しい方向に思い切って投資した結果が現在のヴァティカンの姿、ということなのだろう。

本筋とはあまり関係ないが、あまり娯楽のなかった時代に教会という存在が「テーマパーク」であったというのは本当にそうだと思う。ミサにあずかりながら、やたら立ったり座ったりがめんどーだな、と思いながら、きっと中世の農民など、年中腹が減っているので最低限の動き以上はせずじっとしていたはずで、そんな農民が週に一回やる「ラジオ体操」みたいなもんだったんじゃないか、という考えがよぎったこともある。

ちなみにアップルといえば、(ますます本筋とは関係ないどうでもいい話だが)アップル本社やスタンフォード大学のあるシリコンバレーの中心地は「サンタクララ郡」に属する。その「聖クララ」というのは中世の修道女で、カトリックでは「電話とテレビの守護聖人」だというのもますます因縁くさい。日本で八百万の神様が「何にご利益のある神様」といろいろ分担しているが、カトリックでは聖人が「何何の守護の聖人」ということで同じ役割を果たしている。で、聖クララという方は、病気でミサに行けず自室で寝ながら神に祈ったら、自室の壁にミサの様子がリアルタイムで映しだされた、という奇跡を行ったのだそうだ。ぜひ、「UStreamとiPadの守護聖人」も付け足してあげてほしいところだ。

「クールジャパン」というのはもう廃れているのかと思ったら、ますます最近やってるらしく、それへのアンチテーゼも本書の言いたいことのようだが、「投資」の概念が庶民レベルで浸透しているとは言いがたい日本では、なかなか民主主義の中で政治家が「投資」の決断ができないのだろうなぁ、と思ってしまう。本書に収録されている数々のウンチク話の中で、私が一番印象に残ったのは、この「オリバー・クロムウェルの愚行」の話である。

細かいところでは話がすっ飛んでいて「ん?」と思うところもあるが、そこはご愛嬌ということで、歴史好きでもそうでなくても面白話満載。ぜひお手にとってみてください。

【書評】「あるある」に彩られたグローバル戦略の「キモ」とは - 「グローバル・リーダーの流儀」

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著者の森本作也さんは、地元日本人仲間でもありスタンフォードMBA仲間でもある。地元の奥様方に「he is hot!」と騒がれるイケメンでもあるが、そういうワケで私とは単にそういう関係である。(誰も疑わないと思いますが念のため(^^ゞ)

だいぶ前になるが、私は森本さんとSFの野球場の向かいにあるレストランで昼飯を食いながら、「日本の企業ってミッション・ステートメントがないよね」という話をしたことがある。この話は、私自身の著書「ビッグデータの覇者たち」でも書いているのだが、単に「お金を儲ける」だけでは、長期的にはお客も従業員もついてこない。特に、日本からアメリカに進出するという場面で、さらに製品がモノを言う製造業でもない場合、そこを明確にして、共感を得られないとうまくいかないよね、と話したのだ。日本企業でも、私の古巣であるホンダは珍しく「理念」がはっきり言語化されていて、日本でも繰り返し従業員に伝えられ、実行され、対外的にもそれが広く認識されているのだが、森本さんは「そういえば、ソニーはそれがなかったな・・」という感想を発したので、私は少々驚いた。

そのときに引き合いに出したのが、楽天だった。もう済んだことなので申し訳ないが、具体的な例があったほうがわかりやすいと思うので書いてしまう。当時、楽天は海外進出のエンジンをかけだした頃で、アメリカから楽天のサイトにアクセスしようとすると、かなりダサい英語版のサイトにしかはいれないとか、いろいろとまだまだな時期だった。その英語版サイトの「About Us(企業情報)」のページに行くと、ミッション・ステートメントが掲げられていたのだが、それは「世界一のインターネット企業になる」というものだった。まぁ、社内的に商売の目標としてこれを掲げるのは構わないのだが、楽天に無縁なアメリカ人が「お客」や「投資家」や「パートナー」や「同業者」の立場からこれを聞いても、「へー、そーなの」で終わりだ。なんらかの共感を覚えて、この企業はいいね、このサイトを使おう、ここと商売しよう、と思えるとっかかりが何もない。シリコンバレーの企業はなんだかんだで理想主義的なところがあるので、グーグルならば「世界中のあらゆる情報を整理してリーチできるようにする」などといった、世の中をよくする方向での理念があるし、ホンダも「人間尊重、3つの喜び」など一連のコンセプトがはっきりしていて、多くの人が共感を持つことができる。

楽天の場合は、コレじゃチョットね・・と思いつつ、でも理念がないワケじゃないはずだ、とも思っていた。シリコンバレーほどでないにしても、日本でも無数の企業がある中で、ここまでのし上がってきた背景には、何か必ず、多くの人の支持を得られる理念の柱があるはずなのだ。しかし、日本人はそういうことを言葉ではっきり言うと「偽善」とか「カッコつけ」とか言われてしまうので、あえて露悪的な「ナニワ金融道」的な、現実の商売は厳しい的なことを言うのがカッコいいような、歪んだ自意識があって、はっきりその理念の柱を自覚しない。あるいは、某社のように、言ってみたけれど中味がついてこなくてスベリまくり・・と批判されるのを怖がって予防線を張っている、のかもしれない。でも、スベるリスクも引き受けて、言って実行しなきゃアメリカ人はついてこない、人事や給与体系のテクニックだけではアメリカでの企業経営はうまくいかないと思う。

・・という話を私はそのときした、と記憶している。これはその以前からずっと思っていたのだが、個別企業をクサしたくなかったので、この件はブログにも書いたことはない。代わりに楽天の経営に近い方に個人的にお話しして、そのためでもないと思うが、現在ではミッション・ステートメントもちゃんとしたものに変わっている。ということで「過去の話」で、対比する例として挙げさせていただいた。楽天のみなさま、どうかご容赦ください。

森本さんの近著、「SONYとマッキンゼーとDeNAとシリコンバレーで学んだ グローバル・リーダーの流儀」というやたら長いタイトルの本の中で、上記の件を取り上げていただいていることにまず感謝したい。最近「グローバル人材」とか「グローバル・リーダー」とかがやたらバズワードになっており、この本もそんな尻馬に乗ったモノのように聞こえるかもしれない。タイトルからすると、経営コンサルタント的な「概念的」な「堅苦しい」ものをちょっと想像するかもしれない。あるいは、海外在住者がついやってしまう、日本流の欠点ばかりをあげつらうものかと思って敬遠する向きもあるかもしれない。でも、そんなことはないので、ぜひまずは手にとって読み始めていただきたい。

物語形式で語られるエピソードはわかりやすく、米国での日本企業に関わっている人ならば、首筋違えるほどブンブン頷いてしまう「あるある」事例が満載。それでも批判一方ではなく、日本企業のもつ「良さ」も「直そうと思っても直らない欠点」もある程度肯定した上で、具体的な解決策の事例を挙げている。そして、それは具体的な「ヒント」だけでなく、上記のような「経営のキモ」の話も含んでいる。本書でも語られるように、解決策は一様ではない。このとおりやってもうまくいかないことのほうが多い。解決策はそれぞれの企業のそれぞれの問題によって異なるのだが、それを導き出すヒントには大いになるだろう。

日本以外の海外市場に共通な部分も多いが、特にシリコンバレーとつきあいのある日本企業の方であれば、シリコンバレー人の行動や心情の描写も超「あるある」なので必読である。私も、さっそくクライアントに「まずこれ読んでください、詳細な話はそれから」と勧めたいと思っている。