サインコサインは女子には教える必要ないという人があるようですが、それを言ったら縄文・弥生時代の歴史の知識なんぞ、男子も女子もおよそ実社会で使うことはありません。逆に、本来であれば「実用向け」として現代人がぜひ知っておくべき「近代史」について、日本の学校では時間切れになってろくに授業で教えず、まったくダメダメだと思います。せめて高校では、日本も世界も一緒にした19世紀後半から現代までの「近代史」という授業を1年かけてやるべきだ、とつくづく思います。というわけで、はるか昔に戻って、まためちゃくちゃな横道にそれますが、本日はちょっと19世紀のドイツ、この方のつくった国のお話です。 (ちなみに、カリフォルニアのウチの学区では、アメリカ史も世界史も、ばーっと通史でやるのではなく「中世から近世まで」「南北戦争まで」「帝国主義から現代まで」など、テーマ的に分類して教えています。)
かく言う私も、歴女を自称するわりに、近代史については知らないことが多く、この歴史ブログシリーズを書いていて改めて「19世紀後半の日本とアメリカの同期性」について興味をもったわけですが、その「4G経済」のもう一人の同期生であるドイツについては、実はあまりよく知らないのです。それで、「Long 19th Century: European History from 1789 to 1917」という歴史講義をオーディオブックで聴いています。講師のロバート・ワイナー教授はアメリカ人ですが、「欧州」を起点として世界を見ると、この時期「アメリカ」と「日本」が、「欧州外の新勢力」として、ほぼ必ず一緒にあちこちで言及されるのは面白いです。日本視点だと、「欧米列強」がいっしょくたで、日本は「遅れてる」としか見えないのですがねぇ。ワイナー先生は「日本の影響を軽く見るべきではない」などとおっしゃっています。
欧州の中でも辺境の地であったドイツは、数多くの諸侯国が割拠しており、ナポレオンが弱いところをつぶしたおかげで統合が進み、さらにそこからプロシアが勝ち抜いて他をロールアップしていきます。そして「入れ替え戦」ともいうべき1870年の普仏戦争に勝ってドイツ帝国となり、ついに欧州メジャーリーグにはいりました。このシリーズ(7)で述べたように、アメリカの南北戦争(1864)、日本の明治維新(1868)、ドイツの統一(1871)は時期的に近く、技術の爆発的進化の時代を背景に、「細分化していた地域を統一して、大きな国内市場を作って経済的に飛躍した」という意味で似ています。先行していたイギリスやフランスも、統一市場にはなっていたわけですが、この後のドイツの爆発的な進化に比べ、技術爆発への対応がいまいちめざましくなかった理由は、この歴史講義だけでははっきりわかりません。要するに、明治維新後の日本と同じで、「新体制」のおかげで既得権益をバリバリと踏み潰し、必死で追いつき追い越せで頑張ったのではないか、と考えておきます。
アメリカはこの前後に、「親」ともいえるイギリスを経済規模で追い抜き、世界一の経済大国となりますが、若い国であるので、図体はでかいが「厨二病」の様相を呈しています。「経験不足で舞い上がっちゃった」のは、日清・日露戦争で浮かれた日本も同じ。そしてドイツも、「お局様」がぎっしりひしめく欧州の中で、ビスマルクの権謀術策でなんとかバランスを維持していたのに、ビスマルク引退後に舞い上がってしまいました。お局様たちのプレッシャーが強かった分、ドイツは日米よりも早く爆発して暴走してしまい、第一次世界大戦へと突入するわけです。(それにしても、ビスマルクというのは本当にすごい人だったのですね・・)
なお、アメリカでは「アメリカ独立のとき、実はドイツ人のほうが多かったので、本当ならアメリカの公式言語はドイツ語になる可能性があった」という俗説があるようなのですが、こうやって考えるとあきらかにデマですね。アメリカが独立した18世紀に、個人でアメリカに移住したドイツ人はいたでしょうが、ドイツはまだ海外領土をもつ力はなく、イギリスやその前のスペインのような組織的な入植が行われたわけでもなく、そんなにたくさんドイツ人がいたとはとても思えません。
出典: The Great Courses、Wikipedia