ベイエリアの歴史(6) – 米国帰属とゴールドラッシュ

カリフォルニアの「なんちゃって独立戦争」 オレゴン・トレールが整備され、いよいよ多くのアメリカ人が幌馬車隊を組んで西部にやってくるようになると、途中までオレゴン・トレールで来て、分岐してカリフォルニアにやってくる人達も出現します。罠でビーバーを捕まえて毛皮をとる「トラッパー」から始まり、徐々にユタ・ネバダからシエラネバダ山脈を超えて北カリフォルニアにはいる道(現在の高速80号線)ができ、1841年に最初の幌馬車がカリフォルニアにやってきて、アメリカ人入植者が増加していきます。

その頃、アメリカでは「Manifest Destiny」という流行語ができ、そんな膨張主義的考えを持つジョン・フリーモントという米国陸軍大尉が1845年にカリフォルニアにやってきました。彼は地元のアメリカ入植者と一緒にソノマで決起し、メキシコに対して「カリフォルニア共和国」の独立を宣言します。現在、カリフォルニアの州の旗は、熊と「California Republic」という文字の、ややマンガチックなデザインですが、これはこのときの独立軍のものがもとになっています。

とはいえ、フリーモントが東部から率いてきた兵士は60人、地元で加わった「独立軍」は30人。その後もカリフォルニアのあちこちでメキシコ側との衝突が起こりますが、それでも150人が100人を攻めた、ぐらいの「二丁目」対「三丁目」運動会レベルのきわめて「なんちゃって」な独立戦争ではありました。

もっと本格的には、テキサスの領土争いに端を発し、1846年に「米墨戦争」が勃発します。1848年にアメリカが勝ち、グアダルーペ・イダルゴ条約で正式にアメリカがカリフォルニアを獲得し、「共和国」の人達もアメリカにジョインします。この一連の戦いで、アメリカはカリフォルニアの他、ネバダ・ユタ・アリゾナ・コロラド・ニューメキシコ・テキサスを獲得し、陸続きでついに太平洋に達しました。

現代に続く「ゴールドラッシュ精神」

それにしても、「ナポレオンのヤケクソ」に続き、アメリカというのはまことに運の良い国です。同じ1848年、現在のサクラメントの北東、シエラネバダの山に向かう中腹あたりで、製材所の工事中に土の中から金が発見され、ゴールドラッシュが始まります。

まずは地元と近隣地域から、6000人程度がその年のうちにやってきました。さらに遠方の東海岸や南米、中国、ヨーロッパなどにも情報が届き、陸路と海路から延々と長い苦難の旅を乗り越えて、翌年の末までには4万人の金鉱夫、すなわち「フォーティナイナーズ」が、一攫千金を目指してやってきました。これらの人や物資の流通拠点サンフランシスコは、1848年に600人だった人口が、1849年に25,000人、1852年には4万人に爆発します。サンフランシスコは、「ブームタウン」が伝統なのです。

最初のうちは比較的簡単に金が見つかったので、48年の6000人は1000万ドル相当の金を見つけましたが、その後は競争も激化し、また金を見つけるためのコストや手間も上がり、極端な人口増加のせいでインフレも激しく、やってきたときよりお金を増やせた人は20人に一人程度だったとされています。この構造は現在の「ビットコイン」も全く同じですね。起業を目指す現代のフォーティナイナーズの間にも、この「我先に」精神が深く染み付いています。

また、「金を掘るより、その人達にツールを供給するほうが儲かる」という「リーバイ・ストラウス(ジーンズを発明してフォーティナイナーズ達に売りまくった商人であり、その後ジーンズの有名ブランドとなった)」原則も、ここの人達の心に教訓として深く刻まれました。「ドットコム・バブル」のときのシスコ・システムズなどがその典型ですね。

もう一つ、興味深い点があります。アメリカ帰属とゴールドラッシュによる人口増加がほんの2年ほどの間で起こり、怒涛の勢いで1850年にカリフォルニアは米国31番めの州となりますが、そのときに「カリフォルニアは自由州となることを選択した」ということです。

当時、東海岸では南北戦争前夜の自由州対奴隷州の対立が激化しており、連邦に対して州設立申請をするときにはどちらかを選ばなければなりませんでした。このとき膨れ上がったカリフォルニアの住民とは、すなわちほとんどがフォーティナイナーズであり、どこかの帝国からの命令で派遣された軍隊でも、奴隷団を連れてやってきた大金持ちでもなく、自らの意思で個人としてやってきたアントレプレナーたちでありました。彼らは、奴隷の保有を許せば、一部の金持ちだけが有利になってしまう、として自由州を選んだのでした。

金儲け主義でありながら、個人の自由や機会平等を大事にする、まさに現代のシリコンバレーを支える精神的支柱です。

それにしても、とにかく金や銀を掘り出すことにやたらこだわったスペインが、逃した魚の大きさにどれほど地団駄踏んでくやしがったのか、現代に伝わっていないのが残念です。

<続く>

出典: カリフォルニア州認定小学校教科書”California” McGrowhill刊、Wikipedia、山川世界史総合図録