ベイエリアの歴史(2) – 新大陸における「起業あるある」

コロンブスの野望 話が少し戻ります。この時代、新大陸を目指した人々の多くは、これほどの航海の危険を冒し、何が出るかもわからない土地へと、どうしてノコノコと出かけていったのか、ということを考えてみます。

当然のことながら、某マンガのように「海賊王になるぞー!」などという夢で出かけていったわけではなく、欲得づくなわけですが、その欲得をもうちょっと詳しく見てみましょう。

西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパは、北からはゲルマン人が侵攻して「暗黒の中世」に突入しました。その頃数百年にわたり、南からはイスラム教徒がイタリアを中心に地中海沿岸を略奪し、キリスト教徒を奴隷として大量に誘拐を繰り返し、その後イタリアでは長いこと統一国家が出現しませんでした。暗黒の時代の間に、略奪に対抗できる海軍力をじっとガマンで蓄えたイタリア都市国家がいくつかあり、それらは十字軍でヨーロッパから東へと向かうルートが開通すると、通商で栄えるようになります。

代表的なのがヴェネツィアです。異民族の侵略から逃れるため、町を水で囲むどころか、水の中に町を作ってしまったので、そもそも「土地」というものがなく、農業も鉱業もできず、資源はゼロ。商業にしか生きる道がないので、元首(ドージェ)を中心にした鉄壁の寡頭制政治で「選択と集中」を行い、海軍力を増強し、組織的に船乗りを育ててのし上がりました。そのライバルはジェノヴァでしたが、こちらはヴェネツィアと比べて何かとユルく、主力貴族間の内輪もめも多かったそうです。

アメリカ大陸に初めて到達したヨーロッパ人であるクリストファー・コロンブスは、この何かとユルいジェノヴァの人でした。縁あってポルトガルのリスボンに移り住み、そこで「西回り航路」というアイディアを着想します。ライバルの鉄壁ヴェネツィアが立ちふさがり、オスマン・トルコとの血で血を洗う抗争が続く、文字通りの「レッド・オーシャン」である地中海+シルクロード・ルートを避け、大西洋から逆周りでアジアに達する「ブルー・オーシャン」を目指そうというわけです。その発想には、プトレマイオスやマルコ・ポーロなどの著作の他、漂流経験者の証言など、いくつかの根拠があったようです。でも、彼にはそんな航海を実行するだけのお金がありません。そこで「ピコーン!ヴェネツィアに勝ちたい新興勢力にお金を出してもらえばいいじゃん!」ということで、最初にポルトガル王に対し、弁舌さわやかに「西回り航路」のメリットをプレゼンテーションして「出資」を交渉しますが、断られてしまいます。そこで次はお隣のスペインのイサベル一世に出資交渉に行き、そこで女王が彼を気に入って「エンジェル投資家」となり、彼は晴れてアメリカ大陸への渡航を果たします。コロンブスは、発見した土地からのあがりで大金持ちになる予定でしたが、植民地の統治に失敗して、最終的にはイサベル女王にも見捨てられた寂しい晩年を送ることになります。植民地は結局スペインのものとなり、時代が地中海から大西洋へと移るとともにジェノヴァもヴェネツィアも没落してしまいます。

事業と投資の分離

経営の観点からすると、すでにこの時点で、事業のアイディアを持つ「アントレプレナー」と「出資者」が分離していた点が注目されます。最初にスタートアップするまではいいが、growth managementに失敗して没落するところも、最後はスペインだけが儲かったという「アップルに対抗するモノを作ってグーグルに出資してもらったはよいが、結局儲かったのはグーグルだけだった」的なところも、なんとなく「起業あるある」。当時、歴史に名前も残っていないはるかに多数の船乗りたちが、海の藻屑と消えていったことも、「アントレプレナーは鉄砲玉」という現代のシリコンバレーと同じです。いつの時代も、カネを持っている出資者のほうが何かと(以下略

当時のイタリアやスペインに特に「アントレプレナー」的なリスクテイカーが多かったかどうかはわかりませんが、その中でも厳しい出資者の評価を経て荒波の航海を生き延びた、筋金入りのリスクテイカーだけが、初期のアメリカにやってきた、ということが言えるでしょう。

もう一つ、私が気になるのが、この「スペイン・ポルトガル覇権時代」までのヨーロッパの富は、古代からある土地ベースの農業の他は、主に「アービトラージ(裁定取引)」から生み出されていたことです。東方でシルクや香料を安く仕入れ、ヨーロッパに運んで高く売る。あるいは、新大陸でタダ同然に金や銀を掘り出して、ヨーロッパに(以下略、という地理的な「価値の差」を「通商」で富に変えるといういわゆる重商主義ですが、ここには「自分の手を動かして価値のあるものを作り出す」という「メイカー的発想」がありません。スペイン人にかぎらず、ヨーロッパの上流階級では長いこと、「働く」というのは下品なことであるという価値観が根強くありました。この時代までヨーロッパ発で作られ、世界に流通する価値ある産物、というものがゼロではないのでしょうが、あまり思いつきません。

その価値観や出資のパターンが、その後変わっていきますが、そこはまた後のお話。

ちなみに、カリフォルニアを発見したカブリリョは、果たして自分で副王を説得して出資してもらったアントレプレナーなのか、それとも上司である副王に「カリフォルニアでなんか新事業を見つけてこい」と命じられて後方補給もなく飛ばされた「某国特攻隊型サラリーマン」であるのか、どちらかはよくわかりません。

<続く>

出典: 塩野七生「海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年」「ローマ亡き後の地中海世界」、C.P.キンドルバーガー「経済大国興亡史」、Wikipedia