ベイエリアの歴史(1) - カリフォルニアの発見

日本人が知らないアメリカの歴史 昨日、フェースブックのENOTECHページに突然「アイロンの歴史」など書いてウォームアップしましたが、本日から折を見て「ベイエリアの歴史」シリーズを開始します。実は私は小学生の頃からの「歴女」なのですが、中学の時に「歴史など勉強してもメシが食えない」と思い立ってその趣味を長いこと封印してきました。そろそろ、年寄りの趣味として歴史研究を復活してもいいかな、と思うようになってきたので、気が向いたときにぼちぼち書いて行こうと思います。

日本の学校で習ったアメリカの歴史は、コロンブスの新大陸発見、独立戦争、南北戦争と来て、その後は一気に大恐慌とか第2次世界大戦にふっとんでしまっていました。つまり、とぎれとぎれの「東海岸」の歴史です。しかし、当地にて子供の小学校の歴史授業などを通じてカリフォルニアの歴史を知り、いろいろな歴史的要因が、現代のサンフランシスコやシリコンバレーの「精神」を形成し、世界に冠たる「テクノロジー・キャピタル」を支えているという経緯に興味をもっています。それに、日本とアメリカの歴史は、意外にいろんなところで同期しているということも面白いのですが、これも「日本史」と「世界史」を分けて学んだ、私の日本の学校での体系ではよくわからなかった点でもあります。

「東」ではなく「南」から

さて、そういうわけでご存知のように、コロンブスが新大陸にやってきたのは1492年。日本では応仁の乱が終わり室町幕府が弱体化、でもまだ南蛮人は日本に姿を見せていないという頃です。アメリカでは東からヨーロッパ人がやってきて、米国東部の植民地が形成された後、開拓者たちが幌馬車で大陸を西に向かい、最後にたどりついたのがカリフォルニアだと思っていたのですが、実はそうではありません。もともとカリフォルニアには原住民(ネイティブ・アメリカン)が住んでいましたが、その地を最初に発見したヨーロッパ源流の人達は、「南」からやってきました。

コロンブスの後、「アジアへのルート」を求める冒険者が次々と米大陸にやってきて、「コンキスタドール(征服者)」として知られるエルナン・コルテスがアステカ王国を制服したのが1521年。その後現在のメキシコは「ヌエバ・エスパーニャ」と呼ばれる、スペインの植民地となっていました。当時はヌエバ・エスパーニャから北の方向に、アジアに出られる近道の「海峡」があると信じられており、その幻の海峡は「アニアン海峡」とよばれていました。

「カリフォルニア」という言葉の語源は特定されていないようですが、その単語が最初に登場したのはちょうど当時、1510年頃に書かれたスペインのファンタジー小説「Las Sergas de Esplandian」(エスプランディアンの冒険)です。そこに出てくる「カリフォルニア」は、カラフィア女王が支配し、黄金の武器をもつ美しい女兵士(アマゾン)のいる楽園の島です。(あー、なんか半分ぐらいあたってるかな(^^)v)この影響で、アメリカ大陸西海岸の未知の土地のことを、スペイン人は「カリフォルニア」と呼んでいたようです。

1542年、ヌエバ・エスパーニャの副王が、フアン・ロドリゲス・カブリリョ(ポルトガル人なので、ポルトガル語ではジョアン・ロドリゲス・カブリリョ)という船長に、「アニアン海峡」を探す旅に出るよう命令を下します。同年夏、カブリリョは250人の部下を2隻の船に乗せて、メキシコ西岸から北に向かって出港しました。この海域では、北から南に向かって強い風が吹くので、それに逆行する航海は困難をきわめましたが、それでも9月には現在のサンディエゴに到着しました。これが、ヨーロッパ人による「アメリカのカリフォルニア発見」です。

ちなみに、現在メキシコに属する「バハ・カリフォルニア」という半島があり、ここはすでにもっと早くスペイン人たちが到達していたので、「カリフォルニアの発見」というとこれを指す場合がありますが、アメリカのカリフォルニアについてはカブリリョの到達を「発見」または「最初のヨーロッパとの接触」としています。

カブリリョはその後さらに北上して、現在のロサンゼルスの少し北、サン・ルイス・オビスポあたりまで到達します。しかし、目指す「アニアン海峡」は見つからず、冬の天候によって航海が危険となり、サンタバーバラ沖合のチャンネル島まで戻って停泊します。そこで原住民との戦いが起こり、カブリリョは船から陸に飛び移ろうとして岩場に落ちて亡くなってしまいます。その後、部下の航海士がカブリリョの遺志を継ぎ、一行は翌年にさらに北上します。どこまで行けたのかははっきりしませんが、現在のオレゴン州あたりまで行けたかもしれないとされています。2ヶ月後の1543年4月、船はボロボロになり食料も尽きた一行は、これ以上北上することをあきらめ、ヌエバ・エスパーニャに帰り着きました。

日本では今川義元がブイブイ言わせていた頃で、同じ1543年に種子島に漂流したポルトガル人が日本に鉄砲を伝えます。ヨーロッパでは「大航海時代」、日本では「戦国時代」の始まりの頃にあたります。この頃、北米の東海岸ではまだ植民地は成立しておらず、イギリスによるヴァージニア植民の開始は1584年、ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号でやってきたのは1620年、まだまだ後のことです。

ちょうど、ヨーロッパ人による「日本の発見」と「カリフォルニアの発見」は、同じ頃にあたるというわけです。

<続く>

出典: カリフォルニア州認定小学校教科書"California" McGrowhill刊、Wikipedia、山川世界史総合図録、山川日本史総合図録