オリンピックというのは、きわめて多くの種目のスポーツが同時並行して競われ、きわめて多くの国が参加して、きわめて多くの視聴者が世界中にいる、という、究極のビッグデータ的イベントです。
周波数と一日24時間という大きな制約がある地上波テレビでは、その中からごく一部分しか抜き出すことができません。また、地上波テレビは多くの場合(日本ならNHK以外)CMでお金を稼ぎますので、CMが流れる瞬間になるべく多くの人が見ているようにしなければなりません。このため、どうしても「最大公約数的」に、その国の選手が活躍する+テレビ向けのメジャーなスポーツを選んで放映します。
アメリカは1970年代頃からケーブルテレビが普及しだして、何度かの政策的な後押しを経て、現在では全家庭の85%程度が、ケーブルまたはその競合の有料テレビを契約するに至っています。ケーブルでは周波数の制約がないので、きわめて多数のチャンネルを設定することができます。スポーツは地上波・ケーブルのキラーコンテンツでもあり、アメリカのテレビ業界ではスポーツは特別な地位にあります。アメリカでは、4大メジャー局のひとつNBCがオリンピック放映権を持っていますが、NBCは傘下にNBCSN、MSNBC、Bravo、USA、Telemundoなどのケーブル・チャンネルがあり、これらのケーブルチャンネルでも放映しています。それでも、放映される中身はやはりテレビ局が選んで編成しています。
さらに、ネットでのオンデマンド放映もあります。この形態がいつ始まったかはよく覚えていませんが、オリンピックでいうとすでに数回はオンデマンドでやっています。最初のうちは、「オリンピック・オンデマンド・パッケージ」のような形で有料でサインアップしなければならなかったので、全く人気がありませんでしたが、2010年前後から、テレビ業界が「ユーチューブ対策」として「TV everywhere」とよばれる方式を積極的に導入し、ケーブルテレビの契約者がパスワード認証で他の端末(パソコン、スマホなど)で番組を見られるようになり、ケーブル契約のオマケとして、オリンピックのオンデマンドが見られるようになっています。
NBCはこの(1)地上波(2)ケーブル(3)オンデマンド、の3つの方式のミックスでオリンピックを放映しているわけで、それぞれの方式に一長一短があり、それぞれに合わせた中身とビジネスモデルになっています。いずれもCMとケーブル会社から受け取る配信料の組み合わせで、(1)はCMの比重が大きく、(3)は配信料が大きく、(2)はその中間となります。
ここで「ケーブルからの配信料」というのがキーとなります。ケーブル契約者(単純化するためにケーブルと呼びますが、衛星テレビなど他の有料テレビでも同様)は、月に100ドル以上の高い加入料を払っています。NBCなどの地上波チャンネルも、MSNBCなどのケーブル専門チャンネルも、加入者が払う加入料から一部をコンテンツ料金として受け取る仕組みになっています。地上波主要局とESPN・ディズニー・ディスカバリーなどといったケーブル専門の主要チャンネルは、「ベーシック・パッケージ」という基本サービスに含まれており、それ以外の例えばHBOなどのプレミアム・チャンネルは個別に契約することになります。
地上波テレビは、日本と同様アメリカでも、CM収入が下がりつつあり(それでも多いですが)、これを補うために、地上波各局は配信料を引き上げるようケーブル会社と交渉(時には決裂して、チャンネルがブラックアウトしてしまうことも)したり、ケーブル専用チャンネルを買収してチャンネル数を増やしたりしており、「オンデマンド」の展開もこの努力の一つです。オンデマンドで視聴する加入者は、ケーブル契約者であり、ユーザー名でトラックすることもできるので、その分の配信料受け取りを増やすことに加え、ユーザー・プロファイルに合わせた広告を配信(テレビと同じような番組埋め込みCM)することも可能です。(やっているかどうかわかりませんが)
オンデマンドの場合は、NBCのサイトでスポーツ種目や選手名からサイト内サーチをかけることができます。例えば「Kei Nishikori」でサーチすると、錦織の出ている試合でオンデマンド配信されている過去の動画がずらっと出てきます。そのうち見たいものをクリックすると、ケーブル会社のアカウント情報(ユーザー名とパスワード)入力を求められ、ログインなしでも初回は「お試し30分」だけ見られますが、それ以上はログインする必要があります。動画は、見慣れた試合中継のようなアナウンサーも解説者もおらず、試合の映像と場内の音声が淡々と流れるだけです。(ただ、映像は通常のスポーツ中継と全く同じで、点数をとった選手をアップにしたり、水泳では水の中からの映像がはいったりなど、画面が切り替わってわかりやすく見せるようにはしています。)
NBCのサイトは必ずしもインターフェースが使いやすいとはいえませんが、それでも「日本選手を見たい」とか、「マイナースポーツを見たい」という人にはとてもありがたい仕組みです。これだけ大量の動画を短期間に多数の視聴者が集中する環境で、認証して配信するというのはかなりの技術が必要で、つい職業病でそちらの心配をしてしまいますが、今やビッグデータ技術の進展のおかげで、このような配信方法が可能となっているわけです。アメリカでも、最初の頃はもっと見づらくて大変でしたが、技術面でもどんどん進歩しているのがわかります。
一つ、重要なポイントとしては、オンデマンド配信が始まってから、テレビの視聴者はかえって増えているということが一般に言われています。今回のリオも、(例えばロシアがドーピングでやられてその分アメリカがメダル独占状態という点もありますが)過去最高の視聴者数になると見込まれていますし、例えばアメリカン・フットボールなどでも同様の結果が出ているので、テレビ各局は積極的にオンデマンド技術に投資するようになっています。
アメリカでビジネス的にこれが成り立つのは、上記のように「ケーブル契約が高くて、配信料としてコンテンツ各社にもたくさん流すだけの原資がある」という特殊事情があります。また、2007年の「脚本家組合スト」をきっかけとして、コンテンツ会社が受け取ったコンテンツ料を、俳優・監督・脚本家から各種スタッフに至るまで、どれだけの配分をするかという仕組みも整備されているため、テレビを作る人たちも、こうしてオンデマンドからの配信料が増えると自分たちも潤うというインセンティブがあります。
私は最近の日本のオンデマンド放映事情をあまり詳しく知らないのですが、Newspicksのコメントを見る限り、まだそれほど進んでいないように見えます。その背景事情はとりあえず置いておき、日本でも今後、「CMではない加入料を誰が入り口で十分な額徴収するか(お金の入り口の多様化)」という点と、「コンテンツ配信料をどう配分するか」という点を、アメリカとは背景が違うので、日本式のやり方で整備する必要があると思っています。絶対ダメな理由がいくらでも出てくることを覚悟でいうと、私は、NHK料金徴収の仕組みを使い、NHKが子会社を作って「配信インフラ」と「料金回収」のプラットフォームになり、民放のオンデマンド配信を代行するのがいいのでは、と思ったりしています。
アメリカの場合、ケーブル料金が高いというのは継続的に批判を浴びている点ではありますが、そのおかげで、上記のように試行錯誤したり、制作方式や配信方式に先行投資したりする原資ともなっているワケです。そして、こういう大手のユーザーがあるために、アメリカではビッグデータのスタートアップがどんどん生まれてくるというエコシステムも形成されています。
日本のブロードバンドや映像配信サービスはアメリカと比べてあまりにも遅れていて、いわば「ビジネスモデルのトリクルダウンの一番トップ」にあるべき映像サービスの遅れが、日本のIT競争力をさらに弱めてしまうと懸念しています。ちょうど、東京オリンピックもあることですし、テレビ局の及び腰の元凶と言われてきた某芸能事務所も弱体化の様子を見せていることですし、ここで頑張って、日本でもテレビのオンデマンドを本格的に拡大する努力を、テレビ側の人たちがすべき、と私は考えています。