【ベイエリアの歴史39】カリフォルニア高速鉄道はなぜなかなかできないのか

実を言うと私はかなり「乗り鉄」がはいっています。このため、カリフォルニア高速鉄道が早くできないか・・と心待ちにしているのですが、なかなかできません。

現在のアメリカは、都市構造やライフスタイルが自動車に最適化しているので、鉄道は合わないと思われがちですが、19世紀にカリフォルニアの大発展を支えたのは鉄道でした。このあたりの事情は、以前このブログにかきましたので、下記を参照してください。

ベイエリアの歴史(8) – 鉄道がやってきた

ベイエリアの歴史(9) – 日本との遭遇

しかし、そういうわけで現在は鉄道といえば「儲からない」というのが相場です。私鉄がちゃんと商売になっている日本でも、沿線の不動産開発も込みであって、運賃だけではあまり儲からないのではないかと思います。それで、アメリカの鉄道は自動車に負けて一旦壊滅状態となり、その後も民間ではなかなか進まず「政治がらみ」となり、それも「左寄り(民主党)」勢力が提唱する政策となっています。鉄道を含む公共交通機関は、「自動車を持てない貧乏人のための福祉」というわけです。カリフォルニア高速鉄道が最初に構想されたのは1990年代、現在また返り咲いているジェリー・ブラウンが最初に知事になった頃で、連邦政府も民主党のクリントンが大統領でした。

その後、自動車産業・ガソリン業界フレンドリーなブッシュ政権の間足踏みしていましたが、計画がまた脚光を浴びたのが2009年です。2008年のリーマン・ショック後、大統領に就任したオバマが打ち出した包括的アメリカ再建パッケージ「ARRA」の一環として、鉄道建設の補助金が含まれており、当時のカリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーがこの補助金を申請したのでした。(ちなみにシュワちゃんは共和党ですが。)

私は何かと「オバマはやはり頭よかった」とつくづく思うことが多いのですが、このARRAは実にインパクトが大きかったと思っています。経済再建が主目的ですが、そのための産業政策としては「環境にやさしい」ことを主眼として打ち出し、それは実は裏では「外国産の石油への依存度を低くする」という安全保障目的もあり、このために深く静かに、「脱・ガソリン自動車」へと世の中がシフトしていきました。ウーバーが2009年に創業したのも、この頃からテスラが大ヒットしたのも、「大都市回帰・ワカモノの自動車離れ」が始まったのも、こんな時代の流れの一環であり、「鉄道」もその一つでした。その後、カリフォルニア州知事がまた民主党のブラウンに戻り、引き続き鉄道建設計画を進めようとしているのですが、まだまだ障害が多く残っています。

最大の難関が「地形」です。縦長のカリフォルニア州は、おおまかに言って縦に3本ほどの山脈が走っており、地図上で左から(1)太平洋岸で海に迫っている山、(2)そのちょっと内側にある山、(3)ネバダ州との境目にあるシエラネバダ山脈、となります。カリフォルニアの2大都市、ロサンゼルスとサンフランシスコは、いずれも「港」として発達した都市であり、海に面しています。サン・フランシスコから南に向かい、(1)と(2)の間の谷が「シリコンバレー」となるわけですが、サンノゼからちょっと南に下ったあたりで(1)と(2)が接近して平地があまりなくなります。そしてさらに南に下ると、ロサンゼルスの北で(1)(2)(3)が全部合体してしまい、市の北側に屏風のように立ちはだかります。

高速101号線は、(1)と(2)の間を縫うように走っていますが、サンノゼの南側市街地を超えると、地形が複雑で道が曲がりくねって走りづらくなります。一方(2)と(3)の間はサンホアキン・バレーとよばれる広大な中央平原で、現在のカリフォルニアの大動脈であるインターステート5号線はその西寄りを縦断しており、交通量もとても多いです。このサンホアキン・バレーの東側、5号線とほぼ平行しているのが、鉄道王レランド・スタンフォードが作ったカリフォルニア縦断鉄道であり、現在も主に貨物車が走っています。この線路に沿って、州道99号線という一般幹線道路もあり、この道沿いはカリフォルニアの「農業銀座」となっています。「港」という「点」で西に面する2大都市に対し、内陸部は道路と鉄道で東へと陸路で続く「線」の交通システムになっていて、この2つのシステムが山脈で分断されているわけです。現在計画されているカリフォルニア高速鉄道は、この区間ではこの鉄道路線を活用することになっており、ここはそれほど問題はありません。

問題は肝心の2大都市の周辺です。まず、ロサンゼルスの北側の屏風山。その比較的低いところを高速5号線が通っていますが、山岳部分の走行距離はだいたい80kmぐらい、関東平野縦断ぐらいの感じです。鉄道は東に迂回してもっと山の幅が短いところを走る(下図黄色線のBakersfieldからSan Fernando Valleyあたりまで)ようですが、それでも山を完全には避けられません。当初は、中央平原とロサンゼルスを結ぶ区間を先行する予定でしたが、この難所をどうするかの技術的・予算的な妥協点がいつまでたっても見つからないので、「それじゃー、北側を先行させよう」という話になりつつあります。じゃぁ北はよいのかというとそうでもありません。中央平原からまっすぐ北のサクラメントまで延ばすならば、平原が続いているのでよいのですが、途中で分岐して西のシリコンバレー・サンフランシスコへ行こうとすると、どうしても(2)の山を超えなければなりません(下図黄緑線のGilroyから合流点まで)。山の険しさや山の幅はロス屏風山よりはマシですが、ここもトンネルを掘るのか上を超えるのか、どちらにしても相当な工事になります。現在この区間を通る一般幹線道路があり、道幅は広いですが、かなり曲がりくねった山道です。かといって、海側に高速鉄道を通せるような地形ではなく、どうしても途中は内陸ルートを使わなければなりません。

 

地形だけでなく、政治的にも問題があります。内陸部は中規模の都市は多くありますがそれでも田舎なので、鉄道が地域経済をより活性化すると期待されています。しかし、「北」ルートが都市部に突入するサンノゼあたりはかなり人口密集地で騒音が問題となり、また政治的にも高速鉄道賛成派よりもっと左寄りで「そんなもの作るカネがあるなら、地元民の足である市内交通網に使え」と反対する人も多く、この先すんなり行くとも思えません。というわけで、最初は需要は少ないけれど問題も少ない内陸部から工事が始まるようです。そうこうするうちに、万万が一共和党のトランプが大統領にでもなってしまったら、「貧乏人のための鉄道にカネ使うなんてやめてしまえ」と言い出しかねず、また政治プロセスが止まってしまうかもしれません。なんせ「政治」鉄道なので、そうすれば、また4年か8年か、政権が代わるまで待たなければならないかもしれません。現在の計画でSF-LA間が完成するのは2029年となっていますが、全くアテにならず、果たして私が生きている間にカリフォルニア新幹線に乗ることができるのか、本当に私には信じられません。

出典: Wikipedia