駆け足の20世紀初頭 ぐだぐだと寄り道ばかりしていますが、実は19世紀終わりから20世紀前半まで、ベイエリア歴史的には私が心惹かれるネタがあまりありません。仕方ないので、パラパラと小ネタを箇条書きにしてこの時期は過ぎてしまうことにします。
- 1910年 メキシコ革命始まる。メキシコからの移民が増加。
- 1913年 カリフォルニア州排日移民法成立。アジア人やメキシコ人に対する差別がさらに激化。
- 1914年 パナマ運河開通。東海岸とカリフォルニアを行き来する船が南米を回る必要がなくなり、物流がますます盛んになった。
- 1914~18年 第一次世界大戦。欧州が戦場となり、アメリカは「戦争景気」でますます勢いを増し、債務国から債権国となった。
- 1919~33年 「禁酒法」施行。第一次世界大戦でドイツが敵国となり、ドイツ系アメリカ人が多かったビール産業(アンホイザー・ブッシュ、クアーズ、ミラーなど)を敵視する感情的な世論も禁酒法を後押ししたと言われる。厨二病をますますこじらせている感じ。19世紀前半から少しずつ育っていたカリフォルニアのワイン産業は、フィロキセラ(ブドウに寄生する虫)大被害に加え、この禁酒法で大打撃を受けていったん壊滅した。
- 1929年 大恐慌。カリフォルニアもそこそこ影響を受けたはずだが、それよりニューディール政策で北カリフォルニアにシャスタ・ダムができたとか、そんな話ぐらいしか教科書には載っていない。
軍需産業出現
さて1930年代を迎え、ついにベイエリアに大きな転換期がやってきます。ようやくネタが出現♪
1931年、サニーベール郡は海に面した広大な農地を買い取り、その敷地をわずか1ドルで米国海軍に転売します。海軍は、これを空母Maconの航空基地として使用します。ここなら、サンフランシスコ名物の霧の影響があまりなく、飛行機の発着に都合がよかったためです。この航空基地は基地の創設者である海軍少将の名をとって「モフェット・エア・フィールド Moffett Air Field」と名付けられました。
1939年には、現在のNASAの前身であるNACAが、ここにエイムス航空研究所 Ames Aeronautical Laboratoryを作りました。
ベイエリアが現在の「テクノロジー・キャピタル」となるに至る第一段階は19世紀末のスタンフォード大学設立であり、第二段階がこのモフェット・フィールドの創設と、それ以降の軍需技術の集積であると私は考えています。それまで、フルーツを産する農村に過ぎなかったこの地域が、ここから大変身していきます。この時に大損を覚悟で1ドルで土地を売ろうという決断がどのように行われたのか詳細はわかりませんが、振り返ればその後の産業を創出する先行投資としてはものすごく効果的な投資でした。アメリカ国自体が「土地投機」でできてきたようなものなので、土地投機の達人がここにもいた、というだけのことかもしれません。
エイムス研究所はインターネット草創期に重要な役割を果たし、モフェット・フィールドは現在では軍事的な役割を大幅に縮小し、すぐお隣に本社のあるグーグルが実質的な「主(ぬし)」となりつつあります。
1931年、日本では満州事変が起こっており、1939年はヨーロッパで第二次世界大戦が始まった年です。ここまで、アメリカの軍事活動はおもに対ヨーロッパ(東)およびメキシコ(南)だったのですが、ここへ来て太平洋(西)も武装する必要が出てきた、という流れでモフェット・フィールドができたと思われます。風が吹けば桶屋が儲かる的に言えば、シリコンバレーの成立は日本のおかげもちょっとあるかも、と言えるような気がします。
<続く>
出典: カリフォルニア州認定小学校教科書”California” McGrowhill刊、Wikipedia、 山川世界史総合図録、山川日本史総合図録、NASA、Moffett Field History