【ナンデモ歴史57】中世ヨーロッパの「売り物」はなんだったのか

以前、「信長のマントはどこから来たか」というエントリーで、欧州の歴史における毛織物工業の重要性について書いたことがあります。(実はその後、エントリーを読んだ友人から「あのマントは毛織物でなく絹」との指摘を受けてしまいましたが。)で、そのとき、毛織物以前にヨーロッパが胡椒や絹と引き換えに東方に売る産品は何だったのか、よくわからなかったのですが、最近中世ヨーロッパの歴史がマイブームとなり、いくつかオーディオブックで歴史講義を聞くうちに、わかってきました。

それは「奴隷」であります。

以前、塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」という本で、西ローマ帝国滅亡後にほぼ無政府状態となったイタリア半島が、数百年にわたってイスラム帝国からの激しい略奪にさらされたという話を読みました。そして、今回聞いているイギリス、フランス、ドイツの中世においても、9世紀頃以降、北からヴァイキングがやってきて、これまた激しい略奪にさらされます。

略奪といっても、これらはいずれも当時は貧しい国ですので、盗んでいくお宝などほとんどありません。モノではなく、人をさらって奴隷にするのです。

イスラムの場合、イスラム教徒以外は人にあらずなので、キリスト教徒は奴隷にしてOK。ヴァイキングも最初の頃は全く気にせず人身売買三昧でしたが、キリスト教会側の防衛が整うにつれ、奴隷の原産地はキリスト教の影響が弱い東欧にシフトしていきました。その東欧に住む人達は「スラヴ民族」と呼ばれますが、「スラヴ」は「奴隷(slave)」を語源とするなんて、全然知りませんでした。

ヴァイキングの場合は、自分で奴隷を使うのではありません。彼らは海運による通商をなりわいとしていたので、奴隷をイスラム帝国やビザンツ帝国に持っていって売りました。当時はイスラムやビザンツのほうが、都市文明が発達していて奴隷の需要も大きかったのです。奴隷を売ったお金で、ヴァイキングたちは武器を購入し、また略奪で奴隷を仕入れにいく、というエコシステムでした。

ローマを滅ぼした「ゲルマン民族」は、やたら強い野蛮人のように思っていましたが、そのゲルマン民族がつくった国々は、長いこときちんとした統治システムを確立できず、ローマのような組織的な軍隊で防衛するということができなかったので、こうして南北からの略奪にさらされ、住民を奪われていたのですね。そして、一応存在したけれど不安定な王朝の代わりに、キリスト教会が、軍隊ではないけれど、汎用的でもう少しマシな組織体制を提供して、なんとか住民を守っていたということのようです。中世は教会の権力がものすごく強かったことも、そう考えるととても納得がいきます。

なので、「暗黒の中世」というイメージの中で、しばしば「キリスト教会」が悪者扱いされますが、教会側は「そりゃー心外!」と言いたくなりそうです。そして、当時のヨーロッパの住民にとっては、いつさらわれて奴隷に売られるかわからない、戦々恐々として過ごす日々は、まさに「暗黒」であった、とこれまた納得がいきます。

そして、現代では立場が逆転しているため、十字軍というと「優位なキリスト教側の理不尽なイスラム教側への蹂躙」のように思ってしまいますが、上記のような悲惨な人身略奪に対するキリスト教側の窮余の末の反撃であった、と思うと、これまた納得がいきます。キリスト教国の連合軍を目指したことも、当時は個別の国の力が弱く、それらを糾合する唯一の組織が教会だったということの表れです。

「奴隷」という当時のコモディティ商品という角度で見ると、中世ヨーロッパのことが、ちょっと違う色で見えてきます。

【記事掲載のお知らせ】NewsPicksの2018年大予測シリーズとビジネス・インサイダー・ジャパンに寄稿いたしました。

NewsPicks スタートアップ・エコシステムの変わり目が到来か

https://newspicks.com/news/2715087/body/?ref=index

 

Business Insider Japan 「知的ブルーカラー」時代の人材教育に有効なアメリカ流短大とは

https://www.businessinsider.jp/post-108451

 

Business Insider Japan 静かに広がるシリコンバレー・バッシング —— なんちゃってIoTベンチャーの転落

https://www.businessinsider.jp/post-107858

スタートアップ・エコシステムの変わり目が到来か

スタートアップ・エコシステムの変わり目が到来か

女性天皇の「論理」は「正統性」だと思う件

ちきりんさんが、「男女平等で女性天皇というのは論理破綻」という、面白い煽り記事を書いておられるので、この反語的なネタにマジレスしてみます。

結論からいうと、男女平等という「論理」ではなく、社会や環境の変化の中で、女性でも十分「天皇としての正統性を自然に感じられる」ようになってきたという話だと私は考えます。

現在の皇室典範というルールよりさらに一段上の視点から見て、そもそもなぜ皇室というものが現代の日本で存続しているのかというと、乱暴に単純化すると「みんな皇室が好きだから」ということになります。もう少し詳しく言うと、「皇室という存在が、日本という国を運営していく上で、歴史的に有用な存在だったことが暗黙の了解として共有されていて、今後も存在していたほうがいろいろと良かろうとなんとなく思っている人が大多数である」ということだと思います。

皇室がもつ役割は時代とともに変わっています。長い歴史の中で、実際に天皇が意思決定者や軍の総帥としての実権を持っていた時代はむしろ例外的で、ほとんどの時代、貴族(官僚)や将軍に正統性を付与する、超越的な象徴の役割であり、現代もそこにまた戻っていると言えます。

一時的に天皇が軍の総帥に引っ張り出された明治維新=帝国主義の時代、軍の総帥が女性であっては、帝国主義国家の体裁として弱いので、女性天皇はダメというルールができ、明治天皇は「強いリーダー」というイメージを付与されました。そして、男性の継嗣を確保するための仕組みとして、「側室」も当時としては当たり前でした。

しかし、時代は変わって現代、世界は帝国主義ではなく、天皇は軍の総帥ではなく、対外的にも国内的にも、天皇が男性でなければ日本国にとって不利という要素はほぼなくなりました。江戸時代以前、女性の天皇も存在した時代の「正統性を付与する象徴」という役割に戻った今、別に女性でも不都合はありません。「女性でも問題は特にないよね」ということなのですが、上記のようにグダグダ説明せずに簡単にコメンテーター的に言わなければならない場合、「男女平等だから」になってしまうかもしれません。

なお、サポート・システムとしての側室については、現代でそれを復活させろという意見はほぼありえないでしょう。

女性皇族がメディアにどんどん登場し、外国を訪問したり非営利団体活動をしたりなどの役割を果たす中で、女性皇族がたは皇室の主要メンバーとして広く知られ、親しまれています。女性宮家の議論の中で代替案としてよく上がる「旧皇族男性の復帰」という選択肢と比べてみると、なんだかよく知らない「旧皇族男性」よりも、女性皇族がたのほうが、私的にはずっと「正統性」を感じられます。

ここで私は「正統性」という言葉を何度か使いました。英語でいうとlegitimacy、マックス・ヴェーバーの「支配の社会学」の中で使われている用語です。支配される側の人たちが、支配者に対してなんらかの「正統性」を感じて納得しなければ、その支配は長続きしないことが多いのです。

日本でこれだけ天皇家が長く続いてきたのは、役割を変えながら、その正統性を大多数の人が支持していたからです。誰が天皇になるべきかというというルールは、さらにその上位概念である「正統性」から引き出されるものであって、一番重要な要件は、ルールそのものではなく、みんなが納得する「正統性」であると思います。そして、上記のように、現代は女性でも十分天皇としての「正統性」が担保されると思います。

ただ、「ベスト」が存在しない場合の「セカンド・ベスト」の要件が「男性である」ことなのか「より近い血脈である」ことなのかという比較になると、まだ議論が分かれるところです。

ちきりんさんの仰るように、「だれでも選挙で天皇になれる」というのは伝統型正統性に欠けるためにありえないというのはわかりますが、では例えば天皇の「娘」と「弟または甥」のどちらが正統性が高いか、ということになると微妙で、人により意見が異なります。そこがしばしば「お家騒動」のタネになってしまうので、ルールが作られるわけです。そして、今のルールは「男性である」ことを上位においていて、それが続けられる限りはそれでよいとしましょう。

ここで、十分な数の男性皇嗣候補がいるならば、ルールを変える必要はないのでしょうが、現実には今そこが大問題です。側室がありえないとすれば、選択肢としては「1.誰もいなくなったら家をたたむ」「2.女性でも天皇になれるようにルールを変える」「3.(旧皇族などから)男性の養子を迎えられるようルールを変える」などが考えられます。

どの方向に転んでも現状のルールを変えなければならないとなったら、さて、どの選択肢が皆さまはお好みですか?どれが長期的に安定したルールになりえますか?いずれ、国民の大多数が「正統性」をより強く感じられる方向に落ち着いていくでしょう。

(上の絵は、最後の女帝、後桜町天皇)

ドクターX 大門未知子 vs. AI にツッコんでみる

昼間、カンファレンスでさんざんAIというかニューラルネットワークとかマシンラーニングの話を聞いて、頭からこぼれそうなところに、日本よりちょっと遅れてドクターXの「大門未知子がAIに勝つ」という回をやっていたので、ちょっとツッコんでみたくなりました。番組見てない方はググってあらすじ読んでください。以下、ネタバレ大あり。なお、私はAI専門家ではなく、文系人間のレベルで勉強中です。

なぜ「ヒポクラテス」なる医療AIが、脳に寄生虫がいるという診断ができず、脳膿瘍なる病気だと言ったのか。

まず、ドラマで最初のほうに、「X線画像から予想できる病名と、それぞれの確率分布」のグラフが示されます。外科医のブログ(http://keiyouwhite.com/doctorx5-5)によると、この分布は間違っていないそうですが、ここまでならAIではなく、単なるデータベースサーチとデータの可視化に過ぎません。

本来ならば、そこで大門未知子がやったように、体の他の部分の状態、行動に関する質問、海外渡航歴などの項目を埋めていき、decision treeをたどっていくのだと思います。それが間違ったということは:

  • decision treeがそもそも間違い?こんな基本的な質問もしないでいいの?
  • データセットの中にこの症例がなかった?データのラベリングなどが不完全でクリーンじゃない?
  • 不完全なデータセットを前提としたenforced learningだとすると、シミュレーションが足りなくて空白が埋まっていない?
  • そもそもこういうのって、どうやってシミュレーションするんでしょう?ロボットの作業指示なら、ロボットをずら~っと並べて延々とシミュレーションすればいいのだけれど、病気の場合は動物実験でもするのかな?

など、つい考えてしまいました。

現在のところ、AIを作るのは膨大なデータと人手が必要で、効果的に使えるのは「特定の目的」に限って深く多くデータを投入したりシミュレーションしたりできるところに限られる、というのが私の理解です。IBM Watsonも、「なんでも診断」ではなく、癌に限りますよね?それでも「使えねー」と中止させられちゃったりしてますよね?その理解で正しい?ヒポクラテス君もやはり癌専門だったから、寄生虫がわからなかった?

まぁ、ドラマは近未来の「ナンデモ診断」ができる時代のお話だとして(今のところ、チェスと碁はAIが勝ってますが、将棋はまだ←取った相手の駒を使うという部分が難しいとききました)、それでも上記のようなことを考えると、「AIがポンコツなのは、作った人間がポンコツ」(decision treeとかトレーニングの仕方とかシミュレーションの仕方とかが間違っているまたは足りない)ということでおk?その頃にはAIの研究者が、上記のような不完全性を克服するやり方を考え出してすでに実装しているはず?ヒポクラテス君は、作った人がお金をケチってちゃんと作られていない?

AI専門家のご意見を読みたいと思ったのですが、ざっとサーチしただけでは出てこなかったので、与太話を書いてみました。これへのツッコミ、歓迎いたします。

【イベントお知らせ】サンフランシスコのLINE-Intertrust Security Summitにパネルとして登壇します

11月14日(火)、サンフランシスコのLINE-Intertrust Security Summit にて、パネルの一人として登壇いたします。プライバシーに関する政策のパネルで、英語での議論となります。

会議の情報および登録はこちらからどうぞ → https://www.intertrust.com/company/events/line-summit/

「女性活躍」界における「植木等」待望論

NHKで「植木等とのぼせもん」というドラマをやっています。私は植木等さんがシャボン玉ホリデーに出ていたのをリアルに見た世代です。懐かしいです。

ドラマでも描かれましたが、まじめな植木さんが最初「スーダラ節」を歌うのを躊躇していたのを、僧侶のお父さんが「これは親鸞上人の教えだ」と言って後押ししたという逸話があります。改めて振り返ると、あの1960年代、急速に増加した「ホワイトカラーのサラリーマン」たちは、急激に変化する時代のストレスの中で、あの歌で救われたのではないか、という気がします。

あー、そういうのでもいいのか。みんながみんな、スーパーサラリーマンじゃなくてもいいんだよな。わかっちゃいるけどやめられないんだよ。それが人間なんだよ。うん。

そうやって、完璧でない自分を誰かが肯定してくれたようで嬉しかったから、あれだけヒットしたのでしょう。

さて、最近の日本の「女性活躍推進」の中で、若い女性が不安に押し潰されているという話を読みました。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/02/moyamoya-jyoshi_a_23228148/

https://newspicks.com/news/2531306

仕事も家庭も、どっちかに手を抜けばすぐに批判が飛んでくる不安にビクビクする中、どこかに現代版「植木等が歌うスーダラ節」みたいなものが出現してヒットして、不安を笑い飛ばして、完璧でない彼女らを肯定する風潮になればいいのに、と思います。

昭和のサラリーマンのように、二日酔いでも会社に行っていれば、なんとなく給料もらえて、人より早くなくてもいずれはなんとなく係長や課長にズルっとなっていく、という世界でないことは承知しています。そりゃ、今は大変です。でも、別の部分であの頃より今のほうがよいところも多いはず。なんたって、ネットと携帯がある。情報は武器。本当にありがたい世の中ですわ。

私は、大学の同窓生女性のフォーラムに関わっています。参加者は皆それぞれ、目指すところは違うのですが、私としては、その活動を通して、「スーパーウーマンか、専業主婦か」の二択ではなく、無理ないペースでやっていき、トップでなくてもなんとなく係長とか課長ぐらいにズルっとなる女性がたーくさんいる、という日本を目指すのがよいと思っています。そこがボリュームゾーンなので。

人間誰しも弱いものです。わかっちゃいるけど全部完璧になどできません。マミートラックでもパートでも、なんでもいい。人よりゆっくりでもいい。人生は長い。楽しく生きよう。

(私自身が、自営という名の自前マミートラックに自らを置いたなぁ、と最近つくづく思うので、上記のように思って、自らを慰めております。)

・・と私が叫んでも全く影響がないので、どなたか植木等並みにインパクトのある形で、やってくれませんかねぇ・・?

【ラジオ出演のお知らせ】アマゾン第二本社計画、ラジオでニュース解説しました

アメリカ時間の昨夜、J-Waveに声の出演しました。「アマゾン第二本社」ニュースの解説でした。NewsPicksにてこちらのダイジェスト+音声ファイルが出ていますので、よろしくお願いします。→ https://newspicks.com/news/2531233?ref=pickstream_865003

第二本社の建設地を公募するアマゾン。その狙いは「地方創生」か?

第二本社の建設地を公募するアマゾン。その狙いは「地方創生」か?

【記事掲載のお知らせ】なぜ日立はシリコンバレーで生き残っているのか?

ずっと前から疑問だった、「なぜ日立はシリコンバレーで生き残っているのか?」について、同社新戦略発表カンファレンスに取材して記事を書きました。

https://www.businessinsider.jp/post-105193

日立IT部門はシリコンバレーで生き残れた理由——「やめる事業」選択こそが企業を成長させる

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【ナンデモ歴史56】イケオバたちの悪だくみ - メディアにおける「女性の老い」

引き続き大河ドラマ「直虎」について論じます。(シツコイ)

昨年の「真田丸」の萌えポイントの一つに、「イケオジたちの悪だくみ」があります。若いもんがマジメやっている陰で、悪いイケメンオヤジたちが悪そうにニヤニヤしながらなにやら企んでいるところが、たまりませんでした。草刈正雄さんの真田昌幸はご存知の大人気ですが、私的には近藤正臣さんの本多正信の寝たふりなども大好きでした。

今年の直虎は、信玄や信長のような、有名どころの悪いオヤジたちが「記号」としてシンプルに扱われている一方、怖カッコイイ「悪いイケジョオバサン」が、ブキミな存在感を発して活躍します。特に浅丘ルリ子さんの寿桂尼が凄くて、病身なのに自ら信玄に会いに行くなど奔走し、それをこれまでの時代劇にありがちな「滅私奉公」的な美談ではなく、「こうすれば哀れを誘って相手の譲歩を引き出せる」という謀としてやっている、というところがめっちゃ魅力的で、怖大好きでした。

先週登場の栗原小巻さんの於大の方がこれまたブキミで、楽しみにしています。山岡荘八「徳川家康」の於大の方は、まさに慎み深く滅私奉公な、昔風理想の女性の「記号」として描かれていて「ナンジャーコリャー、ケッ」と思っていたので、今回悪いイケオバとして描かれるのがとても嬉しいです。

考えてみれば、悪いイケオジというのは、日本のドラマでときどき登場するおなじみキャラでありますが、悪いイケオバというのはあまり思いつきません。年配の女性の描かれかたは、そういえば比較的画一的であり、「優しい/厳しい/健気な母/おばあさん」か、独身/子無しの場合は「頑張ってきたけど哀愁」的なパターンが多いような気がします。

一方、先日「20-30代の働く女性が、自分は老けたなと思うことが多い」という記事がありました。その背景として、現代の女性にとって「老いることはひたすら価値がなくなること、悪いこと、嫌なこと、怖いこと、避けたいこと」という刷り込みがあるように思います。だから、人から老けたと言わたくないので自虐にしてしまうとか、相手に「いや、そんなことないよ」と言ってもらいたいとか、無意識な「予防線」を張っていると思えてしまいます。

こうしたメディアの「決めつけパターン」の一つが、上記のような「年配女性キャラの画一化」であります。たとえ「美しく老いる」と言っているつもりが、その表現型は「美魔女」礼賛という、「見かけは老いない」という貧困な発想に行ってしまいます。(というか、そのための美容商品を売りたいという一面もあり。)

ですから、「直虎」における「魅力的な悪いイケオバ」はとても新鮮です。「自分がヨレヨレのバーサマであることに価値がある」と位置づける、その発想はなかったです。それは悲壮な決意でもあるのですが、したたかな逆転の発想とも言えます。

私自身は、老いることに逆らっても無駄なので、そこに抵抗するという無駄なエネルギーは使わない主義です。年齢を聞かれればさらっと答えるし、体力・気力の衰えを感じても、「あー自分はダメだ、もっと頑張らねば」と価値判断をせず無理をせず、便利な道具に頼り人に仕事を押し付けてサボります。それなりのスキンケアもエクセサイズもしますが、そうすれば自分が気持ちいいからであって、他人に若く見られたいからではありません。

でも、受け入れたその先に、何らかの魅力的な「モデル」があったわけではありません。

「老いに価値がある」という新しいロールモデルは、ホントいいですね。未来に明るい光が射してきます。

昨年大ヒットした「逃げ恥」でも、ゆりちゃんの「年齢を重ねることをバカにするのは、未来の自分を貶めること、自分に呪いをかけること」というセリフが有名になりました。より多様で魅力的な「オバサン」の姿がメディアで描かれるようになったのはとても嬉しいです。

女性が主人公の大河では、子供時代が「お転婆で天真爛漫」というステレオタイプが多く、今年も最初のうちはそうだったので「はいはい、ジブリジブリ」と辟易していたのですが、年をとるにつれて、面白くなってきました。前回、南渓和尚が「自分がこの道を選ばせた」と気づいたように、直虎は、自分で選んだといいながらも、実はなりゆきや人の意見に影響されて選んだ気になっていて、何をやりたいのかという本当の自我の軸がなかったように思います。このあたりもとてもうまいストーリーテリングだと思います。私も自分の過去を振り返ると、実はかなりの部分、周囲に流されたり人の目を基準にしたり、いろいろ言い訳して、自分のキャリアを選んできたと、最近気が付きました。それは良いことか悪いことかの価値判断は、敢えてせず、事実としてそうだったと受け入れようと努力しています。直虎も、ワンパターンな「男勝りの女傑」ではなく、等身大の「ヘタレキャリアウーマン」です。

そんなヘタレが、このあと自我に覚醒し、立派な「悪いイケオバ」となり、イケメン直政(史実でもイケメンで、それをけっこう武器にしてのしあがったらしい)をコントロールする悪だくみをめぐらす姿をぜひ見たいものです。(いや、そうなるかどうかは知りませんが。)

そして不肖私も、今後は悪いイケオバ(顔がイケてるかどうかはキニシナイ)をめざして、ますます精進したい所存であります。